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新天皇即位、「令和」幕開け:母国と同様に祝賀ムード

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日系社会からおめでとう

 新天皇陛下が即位され令和が幕開けし、日本は新たな時代を迎えた。南カリフォルニアの日系社会も母国と同様に祝賀ムードに包まれ、その喜びと期待の大きさを見開きページで紹介する。皇太子時代の2008年に小東京を訪問され、全米日系人博物館を見学された新天皇。新皇后雅子さまとご一緒に日系社会への再訪が待ち望まれる。【取材=永田潤、吉田純子、麻生美重】

アケミ・ヤノ元全米日系人博物館館長
世界平和を表す元号「令和」

アケミ・キクムラヤノ氏

 全米日系人博物館(JANM)に在任中、私は歴史的に重要な数多くの写真や博物館が所蔵する皇室の貴重な写真を拝見する機会に恵まれました。そして2008年、当時の皇太子殿下(現在の新天皇)がJANMを訪問された際、殿下にお会いする機会に恵まれました。私は殿下をコモングラウンドにご案内し、最初に日本人がハワイに移民として渡った1868年から現在までの日系人の歴史をご説明しました。
 6月のよく晴れた朝のことでした。アイリーン・ヒラノと海部優子と私はJANM前の広場で殿下がご到着されるのをお待ちしていました。リムジンから降り立った殿下がわれわれにお近づきになった時、私は少々緊張していました。後にその時お会いした殿下が天皇陛下になられるとは!
 その時われわれは殿下が先に手を伸ばすまで握手をしないようにと助言されていました。殿下に自己紹介をすると温かい笑顔で殿下は握手をして下さり、私の緊張はすぐに和らぎました。その時、殿下は実際の年齢より若くお見えになりました。

全米日系人博物館を訪問された皇太子時代の天皇陛下(右)を出迎え、握手を交わすヤノ元館長

 ブラジルを訪問され日系移民100周年記念式典に出席されるなど12日間の長旅をされていたにも関わらず、殿下は大変熱心に博物館を鑑賞されました。
 JANMでのツアーは1世の歴史から始まり、ハワイのサトウキビ畑で働く初期移民や、日本語学校の教科書や黒板や机、ベーブ・ルースとポースをとる2世野球チームの選手の写真のほか、米国で新たなコミュニティーを形成し基盤を築いていった日系人家族やグループなどさまざまな歴史的写真を大変興味深く鑑賞されていました。
 第二次世界大戦の展示では各地に設置された日系人の強制収容所の地図をご覧になり、日系2世兵士たちに授与された勲章もご覧になられました。
 殿下が博物館を鑑賞されたのは30分ほどだったと記憶しています。しかし今も記憶に残るのは殿下が大変好奇心旺盛で温かいお人柄と知性を兼ね備えておられ、126代目の天皇陛下になられるにふさわしい方であったということ。新たな時代「令和」は世界の平和を表す21世紀にふさわしい元号であると思います。

国際人として令和の時代に
原あにか・西大和学園カリフォルニア校生徒会長

 私の生まれた平成の日本では、いくつかの大きな災害はありましたが、幸いなことに戦争は起きませんでした。平成が終わり令和の時代になっても、自然が引き起こす災害はあるかもしれませんが、せめて人間が引き起こす戦争だけは起らない世の中が続いてほしいです。
 私たちは、令和の時代に国際人へと成長することになります。これからの時代、日本は移民国家に変わっていくでしょう。移民国家としての先輩にあたるアメリカで生活し、ダイバーシティーや一人ひとりの意見を尊重することの大切さを学んだ今は、日本にもそういった考えをもっと広めていければと思っています。
 日本と米国双方の歴史や言語、社会を学んだ私たちは、どのような未来を築いて行けるでしょうか。両方の国について学んで分かったことは、どんな国にも良い面と悪い面があり、本当の意味でお互いを理解し合うためには、その両面をありのまま受け入れることが必要だということです。これからの社会では、互いの異なる考えや文化・習慣を人々が自然体で認め合えるようになればと思います。

人と人を結び付ける教育を
小倉佳恵・西大和学園カリフォルニア校平日校校長 

 バイリンガル・バイカルチャーを推進している西大和学園カリフォルニア校では、新元号「令和」を子どもたちに説明するにあたり、諸外国の反応はどうであったのかを取り上げ、多様な見方や表現を紹介しました。
 「Reiwa」は、各国ごとに異なる英訳で報道される中、外務省が「Beautiful Harmony」という正式な表現を195カ国に速報することになった元号です。
 「Beautiful Harmony」を大切にする時代だからこそ、自分が伝えたい日本語表現や考えを英語で正確に伝え、人と人を結び付けていく人材が必要であることを、子どもたちに伝えていきたいと思います。

「美しい調和」という願望
高濱賛・在米ジャーナリスト

高濱賛氏

 皇太子徳仁親王(59)が第126代の天皇になられた。それに伴い、元号が平成から令和になった。
 平成は「Peace Everywhere」(平和が世界の隅々まで)という願いが込められていた。「令和」には「Beautiful Harmony」(美しい調和)という願望が込められている。
 平成は昭和天皇が崩御され、皇太子昭仁親王が天皇に即位された1989年から2019年4月までの30年間だった。
 この30年間は決して何事もない平和で平穏無事な年月ではなかった。
 戦争や紛争は世界のどこかで起こっていたし、過激派分子によるテロは罪のない市民たちを殺戮した。
 地震、津波、洪水、山火事といった自然災害は多くの人々の命を奪った。阪神・淡路大震災(死者6434人)、東日本大震災(死者1万5894人)が日本を直撃した。
 地震で誘発された津波は福島第一原子力発電所を襲い、核の脅威をまざまざと見せつけた。被ばくした地域が完全に復元するにはあと何十年かかるか、その見通しは未だに立っていない。
 リーマンショックをはじめとする一連のグローバルな経済危機が日本経済を翻弄した。「失われた20年」が続いた。貧富の格差は世界規模で拡大し、飢えと貧困から逃れようとする難民の波は欧米社会に押し寄せた。
 平成は決して平和が世界の隅々まで行き渡った年月(としつき)ではなかった。
 ところで、元号の典拠はこれまで中国の古典だった。
 例えば、平成の典拠は、中国の「史記」と「書経」だった。
 安倍首相は4月1日の記者会見で、「令和」は初めて国書である万葉集を典拠にしたと述べた。
 首相は万葉集について「防人や農民まで幅広い階層の人々が詠んだ歌が収められ、わが国の豊かな国民文化と長い伝統を象徴する国書だ」と、元号が国書から選ばれたことを強調した。

令和元年の初日に新元号「令和」を揮毫するアーバイン高校に通う山本けいらさん(17)。米国書道研究会の生田博子会長に師事して7年、四段の腕前を持つ

 令和の二文字は万葉集の中の「落ちる梅」をテーマに詠まれた32の歌の序文にある「初春の令月」「風 和(やわら)ぐ」からとられた。
 天平2年(730年)正月に今の福岡県にあった大宰府の太宰師を務める大伴旅人の邸宅に貴族たちが集まって歌会が開かれた。その時に詠まれた歌を集めたのが「落ちる梅」である。
 万葉集の和歌は万葉仮名を含めすべて漢字で書かれている。序文を日本語に直すと以下の通りだ。
「時は初春の令月(美しき月)にして
 空気は淑(きよ)く、風は和(爽)やかに
 梅は鏡の前の美女が装う白粉のように咲き
 蘭は身に飾った香のように薫っている」

 令和は万葉集のこの序文を典拠にしたものである。
 だが、この序文自体、実は中国・東晋の書家、王羲之のものした『蘭亭序』を下敷きにしたとの説を唱える学者がいる。小島毅・東大教授(中国思想史)もその1人だ。
 小島教授は『蘭亭序』に出てくる「恵風和暢」(心地よい風が吹き、穏やかで和やかな気分になる)の一説を踏まえていると唱える。(朝日新聞デジタル4月2日)
 令和の典拠は日本の古典か、あるいは中国の古典か。
 万葉集の研究者と中国古典学者との論争(?)をよそに、日本文学研究者のロバート・キャンベル東京大学名誉教授は、こうコメントしている。
 「元号の典拠が国書か漢籍(中国古典)かということはどうでもいい。元号は東アジアの漢字文化圏で共有され、大事にされてきた価値観の中から作られたものだ」(NHKニュース・ウェブ4月1日)
 そう言われてみれば、日本の元号自体、中国の強い影響力を受けながら形成され、深化した日本文化の一要素になっている。時の流れを天皇とともに区切り、日本独自の時空間を創造してきたのが元号と言える。
 そして元号と天皇とは表裏一体になっている。戦後、天皇が「現人神」から「国家の象徴」になってもそれは変わっていない。
 だからこそ日本に生まれ育った日本人にとっては元号はパーソナルな、特別な意味を持っている。
 日本人一人ひとりにとって元号や天皇は、西暦では言い表せられない、それぞれが生きてきた過去と重なり合い、忘れがたい記憶と結びついているのだ。
 こんなことがあった。
 筆者が日本の新聞社のワシントン特派員だった当時、昭和天皇が1957年9月、初訪米された。天皇陛下の米大陸への第一歩は、バージニア州のウィリアムズバーグ空港だった。
 空港にはおよそ100人の中高年の日本人女性たちが手に手に日の丸と星条旗の小旗を振って陛下を出迎えていた。海軍基地のあるノーフォークに住んでいる戦争花嫁の人たちだと知らされた。
 歓迎式典の後、筆者は一人の女性に「天皇陛下はあなたにとってどんな存在ですか」と尋ねた。
 彼女は一語一語を噛みしめるようにこう答えた。
 「天皇陛下は私にとっては生き証人です。戦前、戦中、戦後の苦しかった時期を私とともに生きてこられたんですから」
 彼女の頬からは一筋の涙が流れていた。泣きながら微笑んでいた。
 「天皇陛下を米国の地でお迎え出来て嬉しいです。一生の思い出になります」
 日本国中が令和に湧いている。令和決定が発表されるや新聞各社は号外を発行した。繁華街で配られる号外に市民は殺到した。
 万葉集や関連書が全国各地の書店で飛ぶように売れているという。
 万葉集の「落ちる梅」序文が詠まれたとされる大宰府の大伴旅人宅跡地にある坂本八幡宮には、大勢の観光客が押し寄せ、宮司は嬉しい悲鳴を上げている。
 令和ブームの背景には、日本人が日本人としてのアイデンティティーを再確認しようとする思いがあるのだろう。
 令和が日本の古典に依拠している(と信じている)ことでいやが上にも民族意識に浸っているのかもしれない。
 民族意識の高まりは、来年の東京オリンピック・パラリンピック時にはピークに達するのだろう。願わくばそれが70数年前の、あの排他的なナショナリズムの再来にだけはならないでほしい。
 新天皇が最初にお会いになる外国元首は5月26日に国賓として訪日するドナルド・トランプ米第45代大統領だ。
 米国内ではその評価が真っ二つに割れているトランプ大統領だが、新天皇が話されるであろう日本人が元号に託した令和の意味を少しでもくみ取っていただけたら、と思う。
 高濱 賛 在米ジャーナリスト。羅府新報の「磁針」コラムニスト。元読売新聞記者、カリフォルニア大学バークレイ校ジャーナリズム大学院ティーチング・フェロー

令和の日本、さらに発展を
藤内稔元日米文化会館理事長

藤内稔氏

 前の天皇、皇后両陛下が1994年にロサンゼルスを訪問された時、日米文化会館(JACCC)の理事長をしていた私は両陛下とお会いする機会に恵まれました。両陛下には「ロサンゼルスに来てくれてうれしい」とお伝えしました。お二人ともとても上手に英語をお話しされ、美智子さまは英国のアクセントで話されていました。劇場に向かう時、僕が日本語を話し出すと両陛下が驚かれたのを覚えています。
 実は私が陛下をお見かけしたのはロサンゼルス訪問時が初めてではありませんでした。1951年の秋、青森県八戸で一度、当時皇太子殿下だった陛下をお見かけしたことがあるのです。
 当時私は朝鮮戦争に出兵し、9カ月間日本に滞在していました。青森県八戸の兵舎にいたある日、休暇村を訪れると人々が道に並んで何かを待っている光景が目に入りました。「何をしているの?」と尋ねると人々は「皇太子殿下が来られるので待っているのです」と答えたのです。その時初めて皇太子殿下をお見かけしたのです。
 陛下がお通りになるとみんながお辞儀をして、ある老人は地面に手をついて土の中に頭が入ってしまうほど深々とお辞儀をしていました。ロサンゼルス訪問時には陛下が八戸を訪問された時の出来事を伝えると陛下は「(八戸訪問を)覚えています」とおっしゃられたのでとてもうれしかった。
 本当に立派な方でした。あいさつだけさせて頂きお話しすることはできないと思っていました。しかし陛下はきさくにお話しされたので驚きました。最初にお見かけした時、皇太子殿下だった方が天皇陛下になられたのだな、と感慨深い気持ちになったのを覚えています。
 譲位に関してはよく考えられての決断だったと思います。陛下の意志を尊重される形で新しい時代に移り変わることは良い事だと思います。令和という時代を迎え、これから日本ももっと発展すると思います。

日米文化会館理事長時代に天皇陛下(中央)を案内した藤内稔(左隣)

令和は、安らかな時代に
ダグ・アーバー南加日米協会会長

ダグ・アーバー氏

 1994年に天皇皇后両陛下が訪米された時に、南加日米協会がビバリーヒルズで主催し両陛下をお招きした歓迎会を開き、私はタキシードを着用して臨みました。カリフォルニア州知事やロサンゼルス市長らが同席したVIP室で、両陛下はとても温かく迎えて下さり、とてもラッキーで光栄でした。話す機会がありましたが、両陛下を崇拝していますので、ためらったことを今も心残りに思っています。
 2007年には、東京の日米協会創設100周年記念式典で再び両陛下にお目にかかることになり、初めて陛下と握手して感動しました。皇后さまからは、きれいな英語で「あなたは南カリフォルニア日米協会の会長のダグラス・アーバーさんですね。2009年に協会が100周年を祝うことを知っています。お知らせ下さい」と、思いがけない言葉をかけられ、衝撃的だった。私のフルネームを知っておられ本当に驚き、妻と夢を見ているようでした。最高の思い出になりました。
 皇太子さまには、2008年に当時の伊原純一総領事を通して総領事公邸でお会いしました。少し緊張していましたが、皇太子徳仁さまは、とても気さくで優しく温かく迎えて下さり、両陛下にお会いした時と同じ感動を覚えました。公務で笑顔で手を振っておられる時と同じ笑顔で握手してもらい、とても社交的な方でした。
 日米協会はその前夜に設立99年のガラディナーを開き、皇太子さまを招待しましたが、来られることができませんでした。皇太子さまから「出席できずに残念でした」とお言葉をいただき、びっくりしました。
 皇太子さまから「日本とアメリカの強固な関係づくりを助けていただき感謝しています」と激励され、感動して新たなエナジーをもらった感じがしました。オフィスに帰ってスタッフにその言葉を伝え、みんなに喜んでもらい、とてもうれしくなりました。
 天皇皇后両陛下は、皇太子時代から公務をこなされ、大変お疲れになられたと思います。譲位して残りの人生を健康で幸せに生きて楽しんでいただきたい。
 平成は、経済の伸び悩み、高齢化、3・11の東日本大震災とその津波被害、原発事故問題、アグレッシブな中国を筆頭とするアジア諸国が台頭し力を付けるなどしたため、困難な時代でもあったように感じます。なので、新時代の令和は、日本が一からやり直すいい機会だと思います。まだ困難が続くかもしれませんが、安らかな時代を願いたいです。

天皇陛下、バンザーイ!
三宅明己さん4時代を生きる

 大正、昭和、平成、令和の4時代を生きてきました。小学1年の時に昭和天皇の即位を受け、校庭を提灯を持って祝賀行進した記憶が今も鮮明に蘇ります。昭和天皇の崩御の際は、南加日系商工会議所の会頭を務めていましたので、日系社会を代表する5人のうちの1人に選ばれ訪日し、大喪の礼に参列しました。米国で生まれ、広島で育ち教育を受け戦前に帰米した私は、日米開戦により家族や友人が住む敵国となった日本を案じ、二つの祖国の狭間で人生を翻弄されましたので、天皇陛下が亡くなられ、激動の昭和が終わったかと思うと本当に悲しくなりました。

即位を祝し「天皇陛下、バンザーイ!」。二つの祖国への愛国心を人一倍抱く三宅さん

 平成になり、新天皇の即位の礼にも臨席し、招待者2500人とともに祝福しました。その数日後の園遊会で陛下に謁見し「即位式を拝見し感動しました。おめでとうございます。日本の将来のために頑張って下さい。私たちも日本とアメリカのために頑張ります」と話すと、陛下は「遠くからお越し下さりご苦労さまです。アメリカで頑張って下さい」と、励まされ感無量で、涙が出るほどうれしかったです。その言葉は永遠に忘れません。それから6年後に天皇皇后両陛下が日米文化会館を訪問された時には受勲者として招かれ、感動で最高のご褒美でした。
 大正8年(1919年)生まれで、目標とします満100歳を8月に迎えますので、令和の新時代と自分の100歳の誕生日が同じ年に重なって記念すべき年になりました。100歳まで生かしてもらったのは奇跡で、日本からは令和の恵みをいただいて、これ以上望むことはありません。
 令和の2文字は、素晴らしい名前をつけてもらい気に入っています。昭和と平和の『和』が入っていて、とてもうれしいです。新しい平和の時代が始まる感じがします。平成は30年平和でしたが、日本はもっと長く平和が永遠に続いてほしいと願います。新天皇は、天皇家が代々受け継ぐ大和民族の魂を持っておられ、平和を切望しておられます。日本と海外に住む日本人みんなで日本を盛り上げましょう。
 天皇陛下、バンザーイ!

皇太子さまの言葉を励みに活動
ザンダー・ピーターソンJET同窓会国際顧問

ザンダー・ピーターソン氏

 2009年から3年間、JETプログラムに参加して宮崎・都城で11の小学校と5つの中学校で英語を教えたことは、私の一生の財産になりました。
 帰国後にJET同窓会の3人の共同会長のうちの1人に就き3年務めました。16年にJET同窓会インターナショナルが組織され、私は世界の同窓会の代表と、米国の代表を2年兼務して、その後は同窓会国際顧問を今日まで務めています。
 世界代表としての最初の会合は、東京でのJETプログラム30周年記念式典でした。そこで、徳仁さまと妃雅子さまにお会いする機会に恵まれました。
 皇太子と皇太子妃にお目にかかれるのは、ごく限られた一部の人ですので、とても名誉なことでした。レセプション後に各国代表19人がプライベート室に招かれ、一列に並び、私は会長でしたので一番初めにあいさつし、握手を交わしました。お二人とも英語がお上手で、日本語と英語を織り交ぜて会話しました。

2016年に祝ったJETプログラム30周年記念レセプションに参列された天皇皇后両陛下

 皇太子さまに日本語で「私の友達になっていただけませんか」と尋ねると、お笑いになられました。雅子さまを守っている感じがし、とても感じのいい人でした。雅子さまには、米国出身ということや宮崎でのJET時代の活動の自己紹介をし、雅子さまはアメリカに住み、宮崎にも行ったことがあるとおっしゃいました。米ハーバード大卒、英オックスフォード大に留学され、とても知的で、日本の女性の模範になる方だと納得しました。
 退位については、日本語と英語のニュースサイトを毎日読んでいますので知りました。皇位の継承は、天皇が亡くなられてからよりもいいと思います。スームズな継承が行いやすく、陛下は日本と皇室のために行った英断と思います。
 私は昭和62年生まれ。令和で3時代目を迎えますが、平成の改元は2歳でもちろん知りませんでしたので、今回は楽しみにしていました。新元号が発表された4月1日は、2週間のバケーションで日本に滞在していて、令和と知ったのは、友達がシェアしていたフェイスブックでした。
 万葉集からの引用で保守的なイメージがあり、一般の人から見ると令は「命令」、私としては和は「大和」で、大和魂に命令している感じがしましたが、令は「令息」、和は「ハーモニー」なども意味し、とてもすばらしい元号です。

JETプログラム30周年記念式典に参加した米支部員

 JETには二つの任務があります。一つはもちろん日本で英語を教えて日本について学ぶこと。二つ目は、JET経験者のそれぞれが帰国後に母国の人々に日本で学んだ素晴らしいことを伝え共有すること。世界の人々に日本の文化など良さを知って興味を持ってもらいたいです。一つ目の任務は遂行しましたが、二つ目に終わりはなく永遠に続きます。
 JET同窓会は、世界のネットワークを駆使し、現役のJET参加者とも手を組んで日本をプロモートしています。今、最も力を注いでいるのが2020年の東京五輪・パラリンピックです。われわれメンバーは、すべてボランティアで、愛する日本のために尽くしています。JETの経験は、私の職業のソフトウェアエンジニアとは関係ないですが、一生続く日米関係の奉仕に役立ち、その懸け橋役に努めます。新天皇皇后両陛下にお会いできたのは、今後の活動の励みになったことは言うまでもありません。

JETプログラム30周年記念レセプションに参加したJET同窓会インターナショナルの各国代表。後列左から6人目がザンダー・ピーターソンさん

1994年に日米文化会館を訪問された天皇陛下を歓迎するノグチプラザで日米の国旗を振る人々

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