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若松コロニー150年記念し式典:アメリカ本土初の日系移民、当時かなわなかった「義」果たす

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追悼式でおけいの墓前で追悼の辞を読み上げる会津松平家第15代目の松平親保さん

 日本から最初にアメリカ本土に入植した移民団がカリフォルニア州北部ゴールド・ヒルにアメリカ本土初の日本人入植地「若松コロニー」を形成してから8日で150年を迎えた。同日、跡地では記念式典が行われ、日米にいる移民団の末裔や関係者らが出席。会津松平家の末裔も日本から訪れ、当時の藩主が果たせなかった先駆者たちとの「義(約束)」を150年の時を経て、この日果たした。【吉田純子、写真も】

会津松平家第15代目の松平親保さん

 跡地では150年を記念し、6日から9日にわたりフェスティバルが開催され、盆栽展示や茶道実演、太鼓演奏など日本文化を紹介するさまざまなブースも設置された。
 4日間のイベントには当地の日系人、日本人、米国人だけでなく、ラスベガスや遠方から訪れた人々の姿もあった。会津若松からは「若松コロニー150周年記念会津訪米団」の一行をはじめ多数の訪問者が出席し、先人たちをしのんだ。
 移民団の歴史は150年前にさかのぼる。1869年6月8日、会津藩主松平容保の軍事顧問だったプロイセン人ヘンリー・シュネルに率いられ、会津若松(福島県)出身者などで構成された移民団はエルドラド郡ゴールド・ヒルに若松コロニーを形成し、茶や絹などの栽培を試みた。
 しかし近郊にあった金の採掘現場から流れ出た汚染物質により、若松コロニーの茶や桑の木は汚染され、水不足や資金難などの要因も重なりわずか2年で若松コロニーは崩壊。新天地開拓の夢破れた入植者たちは日本に帰る者、現地に残る者、それぞれ日米で別々の人生を歩んだ。
 現在若松コロニーの跡地は「若松ファーム」と名付けられ、自然保護を目的に活動するNPO「アメリカン・リバー・コンサーバンシー(ARC)」が管理運営している。跡地は北米最初の日系人移民の地であると同時に、初めて日系アメリカ人が生まれた場所であるとされている。また敷地内には移民団のメンバーでアメリカ本土で最初に亡くなったとされる日本人女性「おけい」の墓がある。
 「おけいさん追悼式」では北加高野山恵原寺の岩澤匡観尊師と大国寺の三上香楽尊師による読経が行われ、移民団とともに17歳で渡米し、2年後19歳で亡くなったおけいの冥福を祈った。墓のまわりにはたくさんの花が供えられ、墓に隣接するゴールド・トレイル小学校の生徒と、会津若松から来米した会津アルテ女声合唱団のメンバーが、おけいの墓前で一緒に「春が来た」を歌い上げた。


北加高野山恵原寺の岩澤匡観尊師(中央手前右)と大国寺の三上香楽尊師による読経とともに行われたおけいさん追悼式

 記念碑の除幕式も行われ、ARCからは移民団のメンバーで当地で生涯を終えた桜井松之助の石碑、会津訪米団からは会津産の磐梯石を使用した記念碑がそれぞれ寄贈された。

 移民団のメンバーで大工として入植しコロニー崩壊後帰国、カリフォルニアで習得したワイン醸造学を日本に伝えたとされる大藤松五郎の末裔で京都大学1年生の白石菜織さんは「私は現在19歳でおけいさんと同い年。私も松五郎のように挑戦の志を持ち、視野を世界に向けて人生を歩んでいきたい」と話した。
 同じく大工として入植し、コロニー崩壊後は先住民と黒人の血を引く地元女性と結婚した増水国之助の子孫でカリフォルニア州在住のバーバラ・ジョンソンさん、長男のペニー・ユージン・ギブソンさん、次男アロン・ギブソンさんは「たくさんの人が自分の祖先や若松コロニーの歴史に触れてくれてうれしい。とても感動した」と話した。

移民団のメンバー増水国之助の子孫の(右から)バーバラ・ジョンソンさん、次男のアロン・ギブソンさん、長男のペニー・ユージン・ギブソンさん(左端)と大藤松五郎の末裔の白石菜織さん(左から2人目)

 宇山智哉・在サンフランシスコ日本国総領事は山口県(かつての長州藩)出身。戊辰戦争では長州藩は会津藩と戦った歴史がある。「過去の歴史はあるが、今こうしてアメリカの地で150周年を祝うことができてうれしく思う。日本が開国して間もない当時、日本人にとってアメリカは遥か海の彼方の未知の国。そんな中、勇敢にも米国移住を決意し、当地で茶や絹の栽培を始めた会津若松の人々の勇気と行動力に敬意を表したい」とたたえた。

式典に出席し「日本史における江戸時代の意味」について講演した徳川宗家19代目の徳川家広さん

 松平容保の玄孫にあたり、徳川宗家19代目の徳川家広さんは、「日本人の感覚からすると会津藩の話は悲劇としてとらえられがちだが、(移民団の中には)帰国後活躍した人もいる。会津の人々にとっても前向きに歴史をとらえるきっかけになってくれたらうれしい」と語った。
 ロサンゼルスから訪れていた南加福島県人会の元会長で福島県出身の小山信吉さんは1970年代と95年にもおけいの墓参りに来たことがあるという。「このように日系人の歴史が継承されてうれしい。会津藩は郷土愛が強く故郷を思う気持ちが強い。殿様(松平家の末裔)が来てくれておけいさんや移民団のメンバーも喜んでいると思う」と話した。
 当時のサンフランシスコの地元紙「デイリー・アルタ・カリフォルニア」(1869年5月27日付)には戊辰戦争に敗れたプリンス(会津藩主)も後にやってくる予定であると報じられていたが、その計画が実現されることはなかった。
 しかし今回、150年の時を経て、会津松平家第15代目で早稲田大学3年生の松平親保さんが式典に出席。陣羽織を身にまとい登場した。
 会津訪米団からの記念碑には松平さんが揮毫し会津の人々の心を表す「義」の一文字が刻まれた。
 「『義』には約束を守るという思いが込められています。150年前、おけいさんをはじめ会津から移民団が来た時、シュネルは会津の殿様を当地に連れてくると約束したそうです。その時はかないませんでしたが、今回、子孫である私がこの地に来れたことでその約束、『義』を果たせたのではないかなと思います」と松平さんは語り、当時かなわなかった藩主と先駆者たちとの思いをつないだ。

 若松コロニーに関する記事は日本語版では2019年新年特別号特集(1月1日付)と番外編(2月23日付)、英語版では番外編(2月27日付)のほか、1月19日付、2月2日付、4月27日付にわたりシリーズで掲載されています。

新年号特集 日本語版
若松コロニー150周年:「おけい」報じた最初の記事
English Part 1
English Part 2
English Part3
The Article That Revealed Okei to the World

会津松平家第15代目の松平親保さん(左から4人目)と記念碑の前で記念撮影におさまる南加福島県人会のメンバーら


移民団のメンバーで当地で生涯を終えた桜井松之助の石碑

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1 Comment

  1. Tom Ichihara on

    小生の祖父「千葉泰正」は戦前に郵船の写真師で羅布新報の嘱託カメラマンをしていました。
    子供時代は送られて来た新聞を見ていた記憶が有ります。

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