
日本航空のロサンゼルス―東京線就航60周年で記念祝賀セレモニーを開いた関係者

成田へ向け搭乗する利用客。紅白の風船が、就航60周年の祝賀ムードを盛り上げた
日本航空は現在、ボーイング777―300機でロサンゼルスから成田への直行便を毎日運航している。ロサンゼルスから日本へはまた、共同事業パートナーであるアメリカン航空による運航便を合わせ、成田へ2便、羽田と関西へそれぞれ1便、計4便を毎日運航している。

記念祝賀セレモニーであいさつする植木義晴会長
同会長によると同路線の初便は、40人を乗せて羽田を「City of Los Angeles号」と命名されたプロペラ4発機のDC―7型機で28日に出発。給油のためにハワイ・ホノルルを経由し、約25時間かけて翌29日にロサンゼルスに到着し「現在の2・5倍の時間を要した長旅だった」と、紹介した。
その運賃は32万円で、当時の日本のサラリーマンの平均年収は約35万円の時代だったため「一般庶民にとって、いかに海外旅行が高嶺の花だったかがわかる」と説明した。一方の米国の利用客にとっては、当時の平均年収は3900ドルで、運賃は878ドルだったことから「日本の運賃とは、大きく違うところが興味深い」と話した。

スタッフは歴代の制服を着用し接客した
「次の10年をイメージすると、2020年に東京五輪・パラリンピック、2025年に大阪万博、そして2028年にはここロサンゼルスで五輪・パラリンピックが開かれる。こうしたイベントを機に、今以上に日本・アジアとロサンゼルスの結びつきが深まる10年になると想像している」と力説。「われわれ日本航空は、これからもご搭乗のお客さんのみなさんに満足してもらえるように、安全、安心を最優先して、最高のサービスを提供できるように努めたい。今後も変わらぬご愛顧をお願いしたい」と抱負を述べ、締めくくった。
同会長は記者の質問に答え、ロサンゼルス線の需要の大きさや技術革新による航空業界の変化に合わせた同社の対応について説いた。

搭乗口前では利用客に軽食が振る舞われた
航空業界を展望し「必ず変化が訪れる。超音速機が必ず出て来て、これをどのように導入するか。次は、環境を考えた電気飛行機で、これも取り入れたい。宇宙もわれわれの旅行の対象になる」と説明。「これらは決して夢物語ではなく、近い将来やって来る。どんどんイノベーションが起こり、早めに取り入れられる航空会社でいたい。いろいろ夢がある」と、目を輝かせ語った。
就航記念日の翌30日には、旅行会社や共同事業パートナーであるアメリカン航空など関係者を招いたレセプションを催し、LA―東京線就航の「還暦」を盛大に祝った。

祝賀レセプションに招待したIACEトラベルの蒲生潔志さん(右)と小宮昇司さん(左)をもてなす中島喜一支店長
スザンヌ・ボダ・アメリカン航空シニアバイスプレジデント ビジネスパートナーとしてすばらしい事業ができている。日本からLAに初めて就航し、60年も継続しているこの記念すべき日に、パートナーとして祝福できて、われわれは幸せに思っている。
ナンシー・マツイ・アメリカン航空アカウント部長 次の60年もわれわれとパートナーを組んで、ファミリーとしてともにビジネスを成功させたい。
岡山和正・アムネット・ロサンゼルス支店長 60年という私が生まれる前から日米の懸け橋として就航しすばらしく、これを守っていかなければならない。今は当たり前の日米の飛行時間は10時間を切り、行き来がしやすくなっているけど、当初の苦労とその大切さを思うと、われわれ航空券を販売する身として忘れないようにしたい。
蒲生潔志・IACEトラベル・セールス・マーケティング統括総支配人 これからも日本人ならではのきめ細かなサービスで快適な空の旅を提供してほしい。食事、サービスのすべてにおいてトップクラスなので、われわれのお客さんに自信を持って勧めることができる。【永田潤、写真も】

搭乗客を待つJL61便

祝賀レセプションで、一本締めを行う植木義晴会長(右端)ら参加者

固い絆を再確認した日本航空とアメリカン航空のスタッフ。前列左から2人目が中島喜一支店長、4人目が植木義晴会長、右隣がスザンヌ・ボダ・アメリカン航空シニアバイスプレジデント