原爆投下・チャーチルの戦略

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 8月は日本人にとっては忘れられない月である。74年前、拡大した戦地で日本軍は追い詰められ、各地で玉砕が続き後退に次ぐ後退を繰り返していた。本土は連夜の空襲で都市が焼き尽くされ、国民は女学生も勤労動員、子供たちは疎開、配給は滞り人々は日々の食糧難にあえぎ、無条件降伏のポツダム宣言が突きつけられていた。8月6日に広島、8日に長崎に原爆が投下され、9日にはソ連が参戦。遂に天皇の聖断により無条件降伏が決断された。
 今年1月にNHK/BSプレミアムで「暗号名チューブ・アロイズ 原爆投下・チャーチルの戦略」という番組が放送された。それによるとチャーチルは、原子爆弾の早期完成が戦後の世界戦略に欠かせないとルーズベルトを説得し、イギリスの科学者たちを送ってアメリカの原爆開発計画を支援した。そして完成すればその威力を世界に示すために日本への投下が合意された。台頭する共産主義とスターリンの野望に備えるためである。1945年4月、ルーズベルトが急死、トルーマン副大統領が大統領を引き継いだ。
 原爆実験成功は戦後処理を検討する米英ソのポツダム会議の直前だった。実験成功はスターリンに早急な日本参戦を決意させ、米英は原爆投下計画を加速させた。
 人類初の原爆投下の効果は予想をはるかに超えた。この年だけで22万人が亡くなり、その後も多くの被爆者が長く放射能障害に苦しんでいる。米英は戦後すぐに戦略爆撃調査団を送って詳細な調査を行なったが、目的は被爆者の治療ではなく、原爆の効果の確認と将来の自国の核防備の備えだったのだ。
 戦後、米英は核の独占を目指したがソ連も原爆・水爆を開発し、5大核保有国間の国際管理も歯止めが効かず、次々と開発国が広がっている。
 戦争はお互いの欲望と恐怖から起きるといわれている。2次にわたる世界大戦で世界の国々はその悲惨さを舐め尽くしてきたが、戦後も各地での紛争が絶えない。国際協調から自国ファーストへと国際社会の流れが変わり、各地で争いが拡大している。今こそ人類の知恵が問われているのではなかろうか。【若尾龍彦】

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