ぴーぷる:人種の壁とも闘った元日系兵士ドン・セキさん

0

 愛国心を証明するため、青年は両親との別れを決意した―。【吉田純子、写真も】

 福島県からの移民だったセキさんの両親はハワイのサトウキビ畑で働いていた。真珠湾攻撃の直前に両親は日本に帰国。しかし、セキさんはアメリカに残る道を選んだ。
 開戦後、日系人が「敵性外国人」とみなされ差別を受ける中、自らが生まれた国「アメリカ」に忠誠を誓い、「アメリカ人」であることを証明するため米軍に志願した。
 「1941年12月4日。私も両親と一緒に船に乗り日本に行くこともできた。しかし私は拒否した。素晴らしい決断だったと思う。もし日本に行っていたら、日本の軍隊に入ることになっていたかもしれないから」
 戦時中は第442連隊に所属。ドイツ軍に包囲されたテキサス大隊を救出するためフランス戦線に投入された。しかし待ち受けていたのは激戦。彼らに渡されたのは、生きて帰れるかも分からない片道切符だった。
 この戦闘で、セキさんはドイツ軍の銃撃により左腕を失った。さらに爆撃で聴力のほとんどを失う。戦闘の記憶は今も消え去ることはないという。
 終戦後、両親に会うためにハワイで政府機関の職を得て日本に行った。貧しかった両親に家を建てるためのお金を渡したかったのだ。わずか1ヶ月の滞在期間だったが両親を探し出し再会することができた。
 しかしセキさんの中に両親と一緒に日本で暮らすという選択肢はなかった。自分が生まれたのはアメリカ。母国はまぎれもなくアメリカだった。
 セキさんは両親に別れを告げるとハワイへと戻っていった。これが両親との今生最後の別れとなった―。
 先月トランプ大統領が米国で生まれた子どもに米国籍を与える出生地主義の廃止を再び検討していると言及した。「間違っている。アメリカで生まれたら、アメリカ人だ。(両親の)国に戻る必要はない」と政権の移民政策に警鐘を鳴らす。 
 敵だけでなく、「人種の壁」とも闘った日系兵士の言葉は、今の人々の心に届くのだろうか。

Tags

Share.

Leave A Reply