ポール・バンナイ氏死去:日系人初の加州議会議員

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今年の南加福島県人会のピクニックに参加した際のバンナイ氏。これが最後の日系イベントへの参加となった(9月1日、写真=吉田純子)

 日系人で初めてカリフォルニア州議会議員に選出されたポール・タケオ・バンナイ氏が9月14日に亡くなった。99歳だった。

 バンナイ氏は1920年、コロラド州デルタで日系移民の父サクイと母シノの間に生まれた。コロラド州をはじめユタ州、アリゾナ州の農業地帯で幼少期を過ごし、ロサンゼルスのボイルハイツに家族とともに移った。
 第二次世界大戦時は、マンザナ日系人強制収容所に収容され、日系人部隊「第442連隊戦闘団」に入隊。第522野戦砲兵大隊に配属された。その後、陸軍情報部(MIS)に配属され、ニューギニアや南太平洋などで任務に就いた。
 終戦後はロサンゼルスに戻り、結婚。ガーデナで生活を始め、LAのダウンタンの花市場でマネジャーとして働いた。この時から日系社会の活動にも積極的に関わるようになり、二世週祭など日系コミュニティーのイベント運営なども任されるようになる。
 不動産業や保険会社、銀行などでキャリアを積み、1972年にガーデナ市議に当選。翌73年には日系人として初めて加州議会下院議員(共和党)に選出された。
 任期中は司法委員会や金融保険委員会、退役軍人局の役職などを歴任。81年には市民戦争時転住・抑留に関する委員会の初代委員長に就任した。88年にレーガン大統領が行った日系人強制収容に対する公式謝罪は、同委員会の調査結果が重要な役割を果たしたとされている。レーガン政権時には、退役軍人省のディレクターを務めた。
 バンナイ氏の1年後に加州議会下院議員に選出されたフロイド・モリ氏は、「彼は共和党、私は民主党だったが、私たちは共にマイノリティー・コミュニティーのための法案成立に向けて取り組んだ。ユーモアのセンスがあり、いつもカメラを持ち趣味の写真撮影を楽しんでいた彼の冥福を祈る」とし、バンナイ氏の死を惜しんだ。


今年の二世週祭のグランドパレードで沿道の人々に手を振り声援に応えていたバンナイ氏(写真=吉田純子)

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