父としてのディーンさん

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 リトル東京サービスセンター(LTSC)の所長だったディーン松林さんが9月4日、49歳で亡くなった。22日には小東京の本派本願寺羅府別院で葬儀が行われ、1500人以上が参列し若くして逝ったディーンさんの人柄を偲んだ。ベニス出身のディーンさんの小学校、高校の友人、UCアーバイン時代の友、公共政策を学んだハーバード・ケネディー・スクールでの学友らがロサンゼルス市代表に続き焼香。仕事で関わった諸団体の代表も焼香に並んだ。
 日系社会に公私ともに尽くしたディーンさんとは、主に「私」の面でつながりを持たせてもらった。ディーンさんの長女と宅の次女が同じ年で、プリスクールから小、中とずっと同じ学校に通っている。長男同士も同じ小学2年生。同じ親として、幼い子どもを残して逝く彼の想いを想像すると胸が締め付けられる。
 ディーンさんの病気が発覚する半年ほど前のこと。娘たちが学校のSTEM(理系科目)の課題をいっしょにするというので、互いの家を行き来して取り組んだ。当時ディーンさんは出張が続き不在がちだった。ある時、夜の8時ごろに出張先から帰宅し、スーツを部屋着に着替えると食事もとらずに子どもたちを手伝い始めた。NHKの番組の「ピタゴラスイッチ」を知る人にはわかると思うが、ボールを転がして最後にトリックをする装置を作っていた娘たちが「実験を動画に収める」という難関に四苦八苦していたところだった。小さな装置を10個以上組み合わせ、最後の装置がバスケットボールをシュートして成功するカラクリだったが、いつもどこかの装置で失敗し、一からやり直しとなる。私などは失敗のたびに肩を落としたが、ディーンさんは明るく笑い飛ばし、「さ、もう一回!」と盛り上げてくれた。
 毎朝の登校時。まだ始業のベルが鳴るには早い時間に、ディーンさんはいつも娘と並んで学校前の道を歩いていた。車の中の私に気がついたときは笑みを浮かべた。そんな父親としてのディーンさんを思い出とする日本人が少なからずいることも、書き留めておきたいと思った。【麻生美重】

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