セルジュ・ゲンズブールの60年代

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 一年前モンパルナス墓地にあるセルジュ・ゲンズブールの墓を秋の優しい日差しの中で参拝した。入り口から少し歩いたところの少し大きめの墓には花束やカード、メトロの切符などが無造作に置かれていた。
 マルチタレントとして60年代中判から70年代にかけ音楽を中心にヨーロッパで大活躍を遂げる。それまでのスローで歌い上げるバラードタイプの曲でなくポップでリズミカルな曲を書き、フランス・ギャルが1965年にデビュー曲として歌った『夢見るシャンソン人形』は大ヒットになり、ギャルは一躍スターダムへ駆け上った。またアメリカのポピュラー・ソングにゲンズブールが詩を書き、フランソワーズ・アルディーが歌った『さよならを教えて』も大ヒットとなる。
 60年代半ばからヨーロッパのポピュラー音楽界は、ビートルズの登場でそれまでのフランスとイタリア中心からイギリスへと移行しつつあった。67年頃からはヒッピー、サイケデリック、フラワー・ムーブメントが社会現象となり文化に大きな影響を与え、音楽業界はポップからロックへとシフトしていった。
 そんな頃当初ブリジット・バルドーとのデュエットだったが当時の旦那のひんしゅくをかい、イギリスの女優ジェーン・バーキンとのバージョンが発売に漕ぎ着いた『ジュテーム』が世界中でヒットする。ロックのリズムにゆったりしたメロディーをのせた『ジュテーム』は複数の国で発売禁止や回収、放送禁止になってしまう。
 事実婚の関係だったジェーン・バーキンとの間にはシャルロット・ゲンズブールをもうけ、彼女は両親と同様音楽と映画の両方の世界で現在活躍中だ。彼の才能は音楽だけに留まらず映画でも俳優、監督をつとめバルドーやドヌーブなど、当時一世を風靡した女優たちとのコラボで浮き名を馳せた。
 NY郊外のウッドストック・フェス、シャロンテート殺害事件、人類の月面着陸など激動の年を『69年はエロな年』と2人で歌ってからちょうど半世紀。少々破廉恥だったが先見の明とその才能で、60年代後半を粋に駆け抜けていったセルジュ・ゲンズブール。未曾有のアーティストだ。【清水一路】

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