読書の秋か

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 読書の秋、と書いて、はたと手が止まった。そして、たまらなく、寂しくなった。本屋が街から消えてしまったのだから。以前は車で行ける範囲に日本書店が2軒あり、目当ての本がなければ、そこで、注文できた。本が届くのを待つ時間も楽しかった。
 休日の暇つぶしはたいてい本屋で、それがまた、こよなく充実したリフレッシュの時間でもあった。どんな新刊が出ているのか、買う気もなく立ち寄っても、結局は、何かの本を買って帰り、読書に没頭する夜を愛した。
 英語の本屋は近辺に4軒あり、そこは私の目には宝の山であり、豊穣な時間を過ごした。今はそれさえ、1軒もない。本を手にとり、ページをめくるワクワク感が懐かしい。
 先日、日本旅行をした友人が大阪で、歴史小説の第一人者であった司馬遼太郎記念館を訪れ、膨大な蔵書に驚愕したと伝えてくれた。建築家安藤忠雄がデザインした記念館には、高さ11メートルの壁一杯に、司馬氏の蔵書2万冊が並んでいる。本棚を壁一面に積み上げた巨大な本の壁は圧倒的なインパクトがあったと言う。司馬氏は小説を書き始める前に、あらゆる周辺の書物、資料を読み尽くした。その後に、「一滴のしずくが溢れる。そのしずくで書き始める」、と言っていたそうだ。トラック1トン分の本を自宅に届けさせた、自宅の書斎が本の重さで抜けた、などのエピソードも、この本の壁の前に納得させられる。
 彼の頭の中の知識を視覚化することは、どれだけの量の知識が詰まっていたかを、見る者に感じ、考えさせる。頭の中の知識量を視覚化するというアイデアと確信、実行力こそが安藤忠雄の持つ才能であろう。なお驚くのは、まだ4万冊も残っているという事実だ。
 司馬氏は「世に生あるは、事を成すためにある」と考え、美しく生きた日本人がいたことを小説を通して我々に教えたかったのだろう。
 我が寝室の壁2面は手放せなかった本で、床から天井まで埋まっている。そこで就寝する時、私は大地の上で安息の眠りにつく平安を味わい、読書の秋を夢見る。【萩野千鶴子】

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