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「東京オリンピックでメダルを取る」:空手・形の米国代表、國米櫻選手

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檜舞台は修業を積んだ「第二の母国」

日系ゲームズの主催者に招かれ子供たちとふれ合う國米選手(中央)。多くの日系カラテキッズに勇気を与えた

 世界空手連盟(WKF)の「形」で世界第6位にランクされ、南カリフォルニアを拠点に年間を通し世界各地を転戦するアメリカ代表の國米櫻(こくまい・さくら)選手。東京オリンピックは、19年間のキャリアの集大成と位置づけ檜舞台に臨む。ハワイで生まれ、修業を積んだ日本は文武両道を成し遂げ、自身を一流の空手家そしてトップアスリートに育ててくれた「第二の母国」だ。日米の応援を力に変え、世界から選ばれた9人の強者を相手に勝負の夏を睨んだ新年の抱負は、もちろん「東京オリンピックでメダルを取る」【永田 潤】

 両親の勧めで7歳から空手を始めた。日本とアメリカを行き来しながら、ハワイで育った。「(本格的に)空手がしたい」と思い立ち、両親の故郷岡山県の岡山学芸館高校に編入。日本の環境の変化への対応は容易ではなく「いろいろバランスを取るのが難しく大変だったけど、それを乗り越えることができたので『今の自分がある』と、よく思っている。空手がしたいから日本に行き、いい経験ができた」と語り、世界のトップアスリートへの成長はこの修業を礎とする。

日系ゲームズの主催者に招かれ子供たちとふれ合う國米選手(中央)。多くの日系カラテキッズに勇気を与えた

 「空手だけでなく、勉強もしっかりやるように」の両親の教えを守り、文武両道を目指した。進路は「空手優先でではなく、空手と自分の学びたいプログラムが充実した学校を選んだ」といい、ともに空手の名門校の同志社大、早稲田大大学院へと進んだ。空手の腕を上げるとるもに「日本語もしっかり勉強した」と、胸を張る日英バリンガルは、アイドルのように可愛らしく容姿は端麗。アニメの世界から飛び出てきたような才色兼備の空手家だ。

経験を積むことで変化する形
醍醐味は「演武の中で自分を表現」

 形は、仮想の敵に対する攻撃技と防御技を一連の流れとして組み合わせた演武。試合では、立ち方や技を評価する「技術点」と力強さやスピードを評価する「競技点」が採点される。
 國米選手が競技で形に絞ったのは、16、17歳の高校生の頃で「組み手も好きだったが、試合で形をしたかったという単純な理由から」。小さい頃から教えられたことは「演武の中で自分の形を表現する楽しみ」。さらに「空手一つではなく選手として、人として、ちゃんと一人の人物になりなさい」の教えを心に刻んで形を打つ。
 「年々経験を積み、形に対して考えるテクニックや武道としての空手など、深みが見えてきた」「今の自分の空手は、1年前に打っていた形と違うし、6カ月後に打つ形も違うと思う。経験を重ねることで自分の形がどう変化していくのかという楽しみを持ちながら打っている。だから空手をやる上で、勉学が関わってくる」と持論を述べる。「オリンピックでも、どのような形になるのかを楽しみにしている。オリンピックまで、どういう自分の形を完成させるか、という興味を持ちながら練習に励んでいる」
 組み手と違い、相手がいない形は「自分との戦い」と力を込める。「1人でコートに入って形を打つ。アスリートとして、いかに今まで練習してきたことを試合で発揮できるか」が勝負の分かれ道になる。「自分なりに最高の形をどうやって、ちゃんと打てるかどうかが、試合のチャレンジであって、それを心がけている」。イメージトレーニングも取り入れ、静かな所で目を閉じて、最初から最後までのパーフェクトな形をイメージする。

武道の精神性とスポーツの競技性
空手家でありアスリートでもある

 空手は武道の精神性とスポーツの競技性を併せ持つ。國米選手は空手を始めたころを「武道とスポーツの両方をしていると意識していたと思う。最初は空手を好きになるとは思ってなかったので、ただ礼儀作法などを空手を通して学んでいくうちに武道の意識を強く持ち始めた」と振り返る。

2007年のパンアメリカンジュニア大会で優勝した國米選手

 その武道として練習を重ねるにつれ上達して試合に出たり、先輩の試合を見たりして刺激を受けると、スポーツとしての競技の世界を知るようになった。「試合に出たいと思うようになり、試合に出ることで新しいゴールをセットして、それに対して目標をセットして、また努力して練習する」と、空手家でありながら新たな意識が芽生え世界のアスリートとしての道を歩み出した。
 「武道とスポーツは、私の中では同じように考えている。空手は元々武道なので、それが自分も最初だった。そしてスポーツとしての選手になって、今はプロのアスリートとして競技活動をしている。だけど、武道であることを忘れてはならない。それが基本的なところと思っている」と説く。
 さらに「空手はスポーツだけとは思っていない。多分、そう思って空手をやっている人は誰一人いないと思う。空手は武道であって、今は自分にとって競技であるのでスポーツとして、選手として試合に出ている。だけど、その試合に出ている時も、武道であることを忘れてはならない」
 その武道としての表れが、試合のルールの中にも入っているとし「ちゃんと礼をして形を始めて、礼をして形を終える。組み手も相手に礼をして始める」と説明。常に競技の中でも武道ということを忘れないようにルールが作られていると考えていて「私の中では武道とスポーツは同じくらい大切と思っているし、どちらにも偏らないように」と心がけている。

仕事は朝起きて寝るまで
プロアスリートの使命
空手中心、多くの犠牲を払う

 1日に6〜10時の練習に励んでいる。週に1日だけ休養日を設けるといい、オンとオフの切り替えは、海やハイキングに行ったり、友達と食事に行ったりしている。
 空手中心の毎日の生活は「家族や友達と過ごす時間は当然減る」と多くの犠牲を払うが「他のプロのスポーツ選手と同じように、これが自分の仕事なので毎日稽古する」と平然と述べる。

2007年のパンアメリカンジュニア大会。国際大会デビューを優勝で飾り、表彰台でメダルを贈られる國米選手。東京オリンピックでもこの笑顔が見たい

 「一カ所に留まることはない」と、連戦が続き世界を飛び回る。昨年は14の国際大会に出場し、14カ国を回ったといい「ゆっくりとする普通の生活は自分には存在しない。選手としての生活を送るのに当たり前のことをやっている」
 練習のみならず、体の回復に努め、食事の管理を徹底。「朝起きて寝るまでが、自分たちプロアスリートの仕事なので、一般の人のようにオフィスに入っている8時半から5時までが仕事ではない。朝起きて何を食べて、どんな練習をして、寝る時間も決めて、何時間眠るか。起きてから寝るまでが、自分の競技に生かされる。怠ると、全てに響いてくる」
 空手がオリンピック競技に正式に採用されて以来、米国ナショナルチームの栄養士からアドバイスを受けている。「初めて一からいろんな専門知識を得て、何を食べて、何を食べない方がいいか。食べたらこうなる、これを食べれば回復が早くなるなどの知識が増えた。食事に気をつけて考えながら毎日食事をとっている」と説明する。多種の野菜と果物、タンパク質豊富な肉類など栄養素とカロリーを考慮。練習後には体力回復のためのプロテインをしっかりと取り、エネルギー源の炭水化物は大好きなご飯だ。
 形の種目では、体重制限はないため減量は不要。だが「自分の中でのちょうどいい体重はある」ので、毎日の練習に必要なエネルギーを補給し、149センチの身長に、55キロがベスト体重。

「絶対にオリンピックに行く」
出場権はわずか10人の狭き門

 日本発祥の武道として空手は、オリンピックの正式競技採用が2016年に決定し悲願を叶えた。朗報だったものの「最初はあまり信じられなかった。ずっと正式競技でなかったし、オリンピックは手が届く世界ではないと小さい頃から思っていたので…」「回りのみんなは『オリンピックに入った』と喜んだけど、『本当に入ったの?』くらいで、あまり現実味がなかった」と淡々と話す。そして発表から日数が経つにつれて「空手連盟やいろんな空手関係の人

松林少林流空手の道場でケイラ・ヨコヤマさん(左)と握手し激励する國米選手

と、いろいろオリンピックの話になった時にじわじわと実感し始めた。本当に競技に入ったんだ、それなら絶対に行きたい」。オリンピックというアスリートとして最大の目標ができ、モチベーションを高めた。
 五輪の出場権はランキングで決まる。発表は数回に分けて行われ、最初は4月上旬。8種目ある空手は1種目10人、1カ国から1人という狭き門。日本はホスト国なので1枠あるが、國米選手の米国にはない。
 出場権を獲得するためには、これからが正念場だ。國米選手は出場権争いでは現在、トップから4番目につけており、五輪までの大会でこれまで通りの実力を出せば順当に選出される見込みで、第一段階の発表で選ばれることを目標に置く。

東京五輪は「最初で最後のチャンス」
日系社会を挙げた応援を力に

 空手は、東京オリンピックの次のパリでは競技から除外された。その次のロサンゼルスで復帰したとしても8年後だ。選手としては今は絶頂期を迎えている國米選手は「オリンピックとしては、東京が最初で最後のチャンスと思っている」と、一生に一度の巡り合わせになる覚悟で臨む。

松林少林流空手の道場で、形を披露する國米選手

 國米選手にとって第2の母国日本、そして第2の故郷東京でのオリンピック開催。東京で大学院生活を送り、空手の五輪会場の日本武道館は大学時代4年間と大学院時代2年間の試合で幾度も経験しており、有利な戦いが期待できる。
 プレッシャーはさほど感じたことはないそうだが「もちろん緊張することはあるかもしれないが、そこ(オリンピック)まで行けたということを自分の中で誇りに思って、練習して今まで通りに試合に臨む。もちろんオリンピックなので雰囲気も、回りの選手も違うし、環境もがらっと変わるのは確かだけど、プレッシャーを考えることはないだろう。楽しみにしている」
 女子テニス世界ランク3位の大坂なおみ選手も東京オリンピックを目指す1人。日本代表として日の丸を背負って金メダル獲得を目標に置き、日本のファンを喜ばせている。一方の國米選手は「生まれ育ちがハワイで、空手を始めたのもハワイ。ずっと目標としていた選手もアメリカの選手だった。14歳から米国代表だったので、どちらの国から出るかを考えたことはない。自分は日本語を上手く話すけど、アメリカ人なのでアメリカ代表でやる」と、信念を貫く。
 國米選手は、LAの日系社会と交流を続けている。日系社会最大のスポーツ大会「日系ゲームズ」に招かれ演武を披露したり、小東京の道場を訪れ子供たちとふれ合った。國米選手と親交のある空手家のウォルター・ニシナカさんは「サクラは世界で戦う類い稀な実力があって、われわれ日系人の誇り。みんなで応援する」と、日系社会を挙げてのサポートを約束しており、オリンピック後の凱旋が楽しみだ。
 日米の櫻ファンが見る初夢は「大きな星条旗を羽織って表彰台に立ち、胸には輝くメダル」。正夢になることが期待される。

小東京の松林少林流空手の道場を訪れた國米選手(前列右から2人目)。前列左からニシナカさん、アート・イシイ師範

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