せめてごみを除いて

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 このタイトルは、高野山米国別院の今村先生が帰国前に寄稿された「塵を払いごみを除け」から一部拝借したものである。
 実はリトル東京の一街北側の掃除を始めて一年になる。「思い出の小東京」と戦前の街並みの一部を文字で記した通りだけでもきれいにしては、と交番ボランティアの発案で始まった。2~3人でする日曜日早朝の掃除は、正直きれいにするところまでいっていない。一人だと掃き掃除だけで2時間はかかる。一通り終わって最初に戻ると、またごみや吸い殻が落ちている。全く終わりのない作業。複数人員がいないと落書きやしみ落としはできない。吸い殻も200本以上は落ちている。人通りが多くなる時間になったらできない。何かもっと効率よくとか、いい方法がないかと思っていたときに、今村先生の「塵を払い…」を目にした。
 元の言葉はお釈迦(しゃか)様の弟子のチューラパンタカという人が「塵を払いごみを除け」と言いながら毎日掃除を続けて、ついに悟りを得たとされることだが、今村先生もお参りされる人の気持ちを思って、掃き清めておきたいと実践されておられた。
 掃除の発案者はアルゼンチン女性で、四国霊場八十八箇所を巡った時、人通りのない山の上のトイレにも花が飾ってありきれいだった、リトル東京もあの日本のようにしたいという理由からだった。公共道徳が異なる当地での実現は無理とは思ったが、せめて一瞬のきれいが誰か一人にでも伝わればと続けている。
 落書きのペイントも簡単には落ちない。溶剤によってはコンクリートを痛めるというし、ガムを落とそうとして削れそうになったり、吸い殻入れ設置も、別の安全対策を考えなくてはと、難問だらけ。ただ、ホームレスが掃除を始めると黙って移動してくれるようになった、日の出が遅い時期には太陽と見まがう月が見られる、季節を感じさせる木の葉を掃くときは色や音を楽しめる。
 「環境が静かでのどかであれば心も澄んで朗らかである。心と環境が融け合って…」と弘法大師の言葉を前述稿で紹介していた。そういえば古代の美徳は「清明心」。日本人としては受け継いでいきたい。【大石克子】

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