昨日英雄、今日は

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 ロサンゼルス郡パブリックヘルス発表によると、一日の新型コロナウイルス感染者数は毎日更新され、ここ直近一週間は特に顕著に増加している。マスク着用、不要不急の外出禁止は続いているものの、応じない人たちが増えている。マスク不使用で入店を断られ大声でわめきたてる。こういうことで、客の応対に疲れる、スタッフの安全を保てない、と店を閉めるなど、コロナ禍は収まらない。
 レストランも持ち帰りだけでなく、店内での飲食が可能になったが、人数制限や消毒液が常備されていなかったりすると、逆に気になって入れないなど、まだまだ普通にできない。
 BLM(黒人の命は大事)のプロテストも続いている。暴徒による被害の後遺症もまだ残っている。人出は多くなったが、板張りが残っているし、オープンできてない店もある。殺された事実は悲惨だが、被害者が行った犯罪はどこかにいって英雄扱いだけでいいのだろうか。
 英雄偉人とされていた人の銅像が、あちこちで倒され撤去され、名前を冠している所は変更に向っている。黒人差別、奴隷制度があったことは、銅像を倒しても消せない。苦い歴史に向き合うのは耐え難い。なかったことにするより、銅像の意味するもの、当時の社会事情とあしき制度がたたえられていた歴史があったことを後世に伝えるといった方法は考えられないのだろうか。
 この国の仕事は分業になっていて、仕事全体、作業の流れは滞っていないかなど気にしない。そんな印象があるが、多くの国からの移民で成り立つ国だから、このやり方がいいとなったのだろう。全体を考えないことが、思考の基本にもなっているように思う。ごみの捨て方も同様で、清掃人の仕事が無くなったらいけない、仕事を作ってあげている気分で捨てる。簡易トイレがすぐ近くにあるのに、オフィスのドアに向かって立小便や大便をする。そして、へらへら笑って立ち去る。リトル東京の一部分だけの清掃からも面白いことが見えてくる。
 部分部分で考えての銅像倒し、コロンブスデーが廃止になるのなら、国の始まりから考えてみなければならないということにはならないのか??【大石克子】

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