魔法の言葉

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 子供の頃、国語も作文も嫌いだった。なのに、今では定期的にエッセーを書いたり、仕事で執筆したりしている。「自分の人生は誰が決めるのか?」。人生のエッセーは、いつもこの回答のない永遠の疑問文で始まる。誰だってもちろん両親を選ぶことはできないし、生まれてくる国も、家族、親戚、隣人、小学校の同級生も全て用意されている。しかし、人格や自己が形成されていくに従って、人生の決定権は次第に自分に譲与されていく。
 未来を決める上で重要になるのが体験と経験だが、他人の話も同様に大きな影響を与える。言霊というくらいに、言葉の持つ力は計り知れない。「あの一言」が妙に頭に残り、その後の人生を左右してしまうわけだ。
 1989年に欧米一人旅をした際、旅行記や手紙を書く機会が増えた。あくまで自分の記録のためだったが、そんな僕の手紙を受け取ったオランダ在住の知人が、それは、もしやお世辞だったかもしれないが、「君は文才があるから、これから物書きをするといいよ」と言った。しかし、当時、音楽に夢中だった僕は、「アブラカダブラ…あなたは執筆活動をする…」という呪文を頭の片隅に追いやった。
 それから15年、突然、呪文がよみがえる。某団体の会長から突然「エッセーを書いてほしい」と頼まれたのだ。それは「のっぽのおじさん」という、故ジョン・レノンとの出会いについてつづった、生まれて初めてのエッセーだった。
 1回限りのエッセーで呪文は消えない。6年後、今度は某新聞社が自分にライター経験がないことを承知で、音楽記事の執筆を依頼してきたのだ。僕は「執筆家への招待状」を手に、100組以上の音楽アーティストにインタビューし、休むことなく記事を書き続けた。魔法の言葉は、ついに現実となった。
 しかし、それでも自分のことを執筆家とは到底呼べなかった。だから、昨年12月を最後に僕はペンは置いた。そして、世界を襲った新型コロナウイルス。世界も僕も仰天した。
 すると、どこからともなく魔法の呪文が聞こえてきた。「羅府新報がライターを探しているので、書いてみませんか?」
 呪文が解けない僕は今日もせっせとエッセーをつづる。【河野 洋】

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