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 1980年代、英国統治時代の香港で小さな会社を作って、銅羅湾という場所に駐在していました。多くの海外進出した日系企業の方々と、毎夜のように語りあったものでした。私の会社はあっという間に消えてなくなりましたが、夢を実現させて日本を代表する会社に成長させた有能な方々もいました。現地の方々とも、広東語や英語が飛び交う中から交流が生まれていきました。今から思えば、話し合い、主張し合う事で、自分たちが理想とする国を作ろうとしていたのかもしれません。
 その頃には、地下鉄の銅羅湾駅の近くに銅羅湾書店というところがありました。自由な出版ができる言論の自由を象徴するような書店で、地元でも有名な場所でした。私が2016年に再訪した時には、書店の看板はありましたが扉は厳重に閉鎖され、本屋の主人は行方不明だとの噂が流れていました。入り口の壁には、多くの書店への応援メッセージがある中、「白痴仔」という悲しい言葉も書かれていました。
 かつての香港は、どんな事でも自由に話せる空気があったせいか、コミュニケーションがとてもしやすかった事を思い出します。まさか返還後25年もたたないうちに、香港市民の上に国家安全維持法という非民主的な法律を押し付けられるとはその時には想像もしませんでした。香港が中国に返還されたとしても、香港は永遠に香港だと思っていました。国は変わってもそこに住んでいる人々の心根は変えようがないと思っていたからです。
 私たちの住む国では、言論の自由、出版の自由、集会の自由、デモの自由など、法律で当たり前のように守られています。自由な空気を謳歌できる国がある一方で、自由な発言や出版が犯罪となる国もあるのです。目の前に自由があると、それがどれほど大切なものなのか意識することはなくなってくるものです。しかしながら、自由を勝ち取るための先人の戦いがあったからこそ、今の自由な生活がある事を忘れてはなりません。
 1997年までは確かに存在した自由に生活できた香港には、自由な発言を覆うマスクがつけられたようです。【朝倉巨瑞】

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