照ノ富士の優勝

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 新型コロナの影響で春場所(3月)は無観客開催、夏場所(大阪場所、5月)はキャンセルとなった大相撲は、通常なら名古屋場所の7月を東京・両国の国技館で観客数を制限して行われ、再入幕の元大関、照ノ富士(てるのふじ)が千秋楽に二度目の優勝を決めた。
 照ノ富士を応援していた妹は、大喜び。
 妹夫婦は、本場所が始まると畑や家事を早々に切り上げて熱心にテレビで観戦する相撲ファン。地元出身の力士をひいきにするのはもちろんだが、照ノ富士の所属する伊勢ケ浜部屋の力士応援にも力が入る。というのも、毎年11月に福岡市で催される九州場所の際は、妹夫婦の住む大宰府市に伊勢ケ浜部屋が宿舎と稽古場を構え、特に身近な存在だからだ。秋が深まり九州場所が近づくと大宰府天満宮の参道には関取名を染め抜いた幟(のぼり)が立ち、時には力士の姿が見られる。所属力士が九州場所で優勝すれば、大宰府の町がパレードの場となる。というわけで、照ノ富士の応援に熱が入っていた。
 そういう縁の無い私たち夫婦も特に場所後半、照ノ富士を応援していた。何しろ、優勝経験もある元大関が、病気と膝のけがとで序二段という下位まで転落した後に再入幕し、優勝争いに加わったのだから。奇跡のような復活劇は、多くの人の心をつかんだ。
 勝負の世界はどこも厳しいには違いないが、相撲は昔から番付一枚違っても序列が厳しいといわれる世界。金銭的にも、十両になって関取と呼ばれるようになれば百万円を超す月給が出るが、それ以下は無給。十両の下が幕下、三段目、序二段、序の口で、大関経験者が序二段まで番付を落とすのは異例のこと。つらい事、悔しい事は多々あったに違いない。途中何度も師匠に引退を申し出ては「まず体を治してから」と慰留されたと報道されている。
 「続けて良かった」と言う照ノ富士に優勝旗を手渡したのは、慰留し続けた師匠で審判部長を務める伊勢ケ浜親方(元横綱・旭富士)だった。自身も現役時代に内臓疾患に苦しんだ経験があるという。
 連日蒸し暑い日本の夏だが、コロナも忘れさせる清涼剤のような瞬間だった。【楠瀬明子】

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