ハラダハウスに支援の手を:日系人史跡が崩壊の危機

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補修費650万ドルの調達に苦慮

ロサンゼルス・イグザミナー紙が1916年1月5日に一面で報じた原田の住民紛争

 カリフォルニア州リバーサイド郡にある「ハラダハウス」は、老朽化のため公開されることもなく、静かに補修に伴う支援の手が差し伸べられるのを待っている。2020年版の「全米で最も存続が危ぶまれる11の史跡」に名前が挙げられたこの目立たない小さな家が、ある日系移民の闘いの場だったことは、あまり知られていない。全米歴史保存トラスト協会のためにニコラス・ソムが書いた記事を翻訳した。

「海に投げ込まれても、家は絶対に売らない」
訴訟を起こした原田重吉

ドレスアップし集合写真に納まる原田一家(1928年撮影)

 20世紀の初頭、原田重吉と妻のけんが日本での生活を畳んで米国に渡ったとき、まさか自分たちの名前が歴史書に刻まれるとは思ってもいなかっただろう。日本では重吉は教師として働いていて、けんは侍の娘だった。
 しかし、「カリフォルニア州住民・対・原田重吉」の起訴でリバーサイドにある彼らの小さな目立たない家が画期的な上級訴訟の中心となったとき、2人は世界中から注目を浴びた。

排日土地法に抜け穴
米国籍の子3人所有に

 「多くの史跡は無形のものを象徴するが、ハラダハウスの場合は家そのものが史跡だ」と、リバーサイド博物館のロビン・G・ピーターソン館長は言う。「家の歴史的価値を考えたとき、建築様式が重要だという場合もあるでしょうが、ハラダハウスの場合は、まさに家なんです」
 全米歴史保存トラスト協会によって2020年に最も存続が危ぶまれる11の史跡の一つに選ばれたこの建物は、推定1880年代に建設された平屋建てのソルトボックス型コテージである。

日系人公民権運動の史跡として重要なハラダハウスの現在

 4人の子供がいた原田一家はリバーサイドでの最初の数年を窮屈な下宿の1部屋で過ごしていたが、食堂経営からの収益で1915年に、レモン通りにある家を1500ドルで購入することにした。新しい移民が次々と流入する狭い下宿屋では病気は簡単に広がる。5歳の息子のタダオが1913年にジフテリアで亡くなった後、夫婦は家族にとってより安全な住居を見つけることを決意した。新しい子供がお腹にいることも家を買う決心の理由だった。
 ところが購入には一つだけ問題があった。移民である原田夫婦は、連邦法によれば米国市民になることはできなかった。外国人が土地または財産を長期的に所有する権利を否定した1913年のカリフォルニア外国人土地法(俗に排日土地法)と組み合わせると、取れる法的手段はほとんどないように思われた。
 だが、重吉は一歩先を考えていた。10歳未満ながらも米国生まれの、下から3人の子供の名前に家の所有権を置くことにした。そうすることで、歓迎されない新しい国で家族が足場を築くことができると信じていた。娘のミネとスミ、そして3歳のヨシゾウは、合法的な家の所有者になった。

教師だった重吉が経営したワシントンレストラン

 シカゴにあるイリノイ大学でグローバルアジア研究と歴史を教えるマイケル・ジン助教授は、「移民にとって土地を所有することは社会での上昇の可能性が最も高かったが、外国人土地法は日本から到着した日本人の権利を拒否しようとした。重吉の戦略は、当時の他の多くの人々が使用した法律の大きな抜け穴だった」と説明する。
 マーク・ラヴィチの著書「レモン通りの家」によると、原田一家が新居の隣人と最初に出会ってからわずか数時間後には、近所から人種差別的な虐待や嫌がらせが始まったという。ある住民はこの問題に対する彼らの感情を公に表現するために壁を建設することを計画した。原田一家を立ち退かせようとする委員会がすぐに結成された。
 住民らの代理弁護士からの最終提案は、家を諦めてレモン通りから去ることと引き換えに原田家に1900ドルを払うというものだった。
 重吉はリバーサイドで「ワシントン・レストラン」と下宿屋を営んでいたが、レストランのメニューで最も高価な料理が、55セントの肉厚のテンダーロインステーキという時代だった。
 近所からの提案金を聞いた重吉の反応は?
 「私は売らない。殺されても、海に投げ込まれたとしても、家は絶対に売らない」
 それが重吉の答えだった。

法廷闘争が世界の注目に
勝訴、命懸け家を守る

 そして重吉は法廷に行くことになった。「カリフォルニア州住民・対・原田重吉」。訴状は1916年に提出され、ニューヨークタイムズの一面から日本の出版物までが取り上げる国際的に重要な問題になった。原田一家は引っ越し後に新しく2階を増築し、レンガの基礎を追加し、外観を白い縁取りのある灰色にペンキで塗り替えた。

重吉に味方したクレイグ裁判官の意見書(1918年)

 訴訟が決着するまでに長い時間がかかり、その年は1918年だった。当時は第一次世界大戦で、日米は連合国として力を合わせていた。これがリバーサイド郡高等裁判所にどのような影響を与えたかは分からない。決定は、しかし幸いなことに原田家に味方した。「子供たちは米国人であり、やや謙虚な立場にあるが、それでも米国の土地法で平等に保護される権利がある」とヒュー・クレイグ裁判官は判決で述べ、「彼らの親が何者であれ、米国市民の政治的権利は同じである」と、法律の裏付けを認めた。
原田一家はレモン通りの家にとどまることができた。
 リバーサイド博物館のピーターソン館長は「カリフォルニアだけでなく、あらゆる場所を見ても、これは出生による市民権を定義する人種差別法への非常に初期の挑戦だった」と説明する。「原田一家が大変に勇敢で頑張ったことが、このような人種差別法を一掃するための数十年にわたる努力につながった」
 もちろん、それまで50年以上かけて蓄積されてきたカリフォルニアのアジア系移民に対する敵意を覆すには、1回の勝利だけでは十分ではなかった。最初は中国人労働者が暴力的な人種差別暴動の標的だったが、1882年の中国人排斥法の成立後は、人種差別主義者の感情は日系移民に向けられた。また、攻撃はより政治的に洗練された。原田重吉を支持したクレイグ裁判官の決定は、重吉が利用した法律の抜け穴を塞ぐために1920年に改正された外国人土地法の合憲性には、異議を唱えなかった。

トパーズの収容所で亡くなった重吉の葬式

 イリノイ大のジン助教授は、「ある意味で、この特定の事件は反アジアの排他運動をより激しくした。その後長期にわたり、日系のすべての人々を追い出すための協調した努力が行われた」と述べる。
 原田家はその運動の犠牲者となり、第二次世界大戦が始まると家族はバラバラにされ日系人の強制収容所に拘束された。
 重吉とけんは、ユタ州のトパーズ戦時移転住所で亡くなった。2人が命を懸けてもと守った家から、500マイル以上離れた場所だった。

闘う価値ある小さな家
修復へキャンペーン開始

 「ハラダハウスは大邸宅ではない。とても小さな家だ」とピーターソン館長は言う。「そして、弱い立場で限られた手段しか持たなかった人の家だ。だが、権利のために闘う強い意志と決意を持った人の力を証明した」
 戦時中、レモン通りの家はジェス・ステイブラーという名の家族の友人が管理し、1945年に重吉の娘のスミが戻ってくるまで保つことに成功した。スミは戦後の53年間をレモン通りで暮らし、増え続ける原田一族の中心として家を守った。

1915年12月25日、羅府新報に掲載された原田の訴訟に関する記事

 家はリバーサイド市と国の両方から国定歴史建造物として認識された。
 2000年にスミが亡くなり、03年に弟のハロルドが亡くなると、家は彼らの希望に応じてリバーサイド博物館(当時はリバーサイドメトロポリタン博物館として知られていた)に寄贈された。
 だが、リバーサイド博物館が受け取った家は新品同様の状態とはほど遠く、水の浸透、シロアリに食われた構造梁、そして何十年にもわたって延期されたメンテナンスの悪さが、家を崩壊の深刻な脅威にさらしていた。
 過去17年間で100万ドル相当の緊急安定化作業がなければ、その脅威は現実のものになっていただろう。リバーサイド博物館は、家を保つために家の基礎、石膏、煙突をある程度修復した。しかし、根本的な問題に対処するまでには至らず、意味のある恒久的な修理を行う時間は減少し続けている。
 ピーターソン館長とリバーサイド博物館は、19年に開始した650万ドルの修復費用キャンペーンが、ハラダハウスの将来を確保することを期待している。連邦政府からの50万ドルの助成金により、構造物の基礎の再構築や主要な構造要素の修復など、修復の第一段階を開始できる。目標は、1916年の重吉の家を復元し、一般の人々が家を体験できるようにすること。現在、安全な場所に保管されている昔の家具や調度品の多くを最終的に復活させることだ。
 何世代にもわたって家を守ることは大変な挑戦だが、かつてその所有者が証明したように、ハラダハウスは闘う価値のある家だ。【ニコラス・ソム、訳=長井智子】

公民権のランドマーク
加州で最も重要で強力

 ロサンゼルスの東に位置するリバーサイド市は、華やかなロサンゼルスに比べて控えめな郊外の都市だ。そこに

20万点の所蔵品をもつリバーサイド博物館のロビン・ピーターソン館長

かつて日系人の所有した、カリフォルニアで最も重要で強力な公民権のランドマークであるハラダハウスがあることも、あまり知られていない。
 20万点の所蔵品をもつリバーサイド博物館は、本館の他にハラダハウスと、ビクトリア様式のヘリテージハウスという三つの史跡を管理している。現在、本館は改装のため閉館中で、2024年の開館百周年には再開されることが望まれている。3ブロックほど離れた場所にあるハラダハウスについては、修復工事が終わるまでは立ち入ることができない。ウェブサイトからバーチャル鑑賞は可能だ。
 1880年代後半に愛知県で生まれ、教師だったが日本での生活は制限が厳しすぎると米国に新天地を求めた重吉。その展示は、原田重吉が闘ったハラダハウスのみならず、戦時中に日本人収容キャンプに送られた一家の運命とともに、市民および個人の権利、民主主義、移民、同化、愛国心の問題を浮き彫りにするもの。
 同館のロビン・ピーターソン館長は羅府新報の取材に答えて以下のように述べた。
 —ハラダハウスの歴史的価値は?
 「ハラダハウスの重要性はその物語にある。その物語は、家そのものを維持する家族の能力にかかっていた。ハラダハウスの場合は、公民権運動のすべての記念碑がそうであるように無形のものを象徴すると同時に、家の所有権そのものが象徴だ。公民権の史跡とされるものの多くは、そこで起こったことのために重要視されている。たとえば、M・L・キング牧師が暗殺されたモーテルは、事件が起こった場所であっても公民権運動とは何の関係もなかった。ハラダハウスの場合は物語の中心が家であり、そのために重要さが増している」

日本生まれの長男とともに1905年に撮影された原田家の家族写真

 —修復計画について
 「9月に『最も存続が危ぶまれる11の史跡』リストが発行されて以来、この重要なプロジェクトを支援する声が寄せられていることに感謝している。ハラダハウスの修復は費用と時間のかかる作業であり、支援者の数が増えていることをとてもうれしく思う。この複雑なプロジェクトは数年にわたって段階的に行われる必要があるため、私たちは長い目で見ている」
 —資金調達の困難な点は?
 「私にとっての主な課題は、第一にハラダハウスが不当なほどに無名だということ。もっと人々にハラダハウスの存在を知ってもらうことが重要だが、この問題は現在、リバーサイド博物館の本館が改修中だという事実によってさらに複雑になっている。次に、関心のある人々に対して、家を修復するのになぜ650万ドルもの費用がかかるのかを理解してもらうことだ」
 —展示の現状と将来の計画について
 「ハラダハウスの物語には説得力がある。1世紀以上前に起こった出来事に根ざしているが、その公民権メッセージの適時性は明らかだ。リバーサイド博物館の本館も今後3年間は改修と拡張のために閉鎖されており、唯一開館中だったヘリテージハウスもパンデミックのために一時閉鎖されている。私たちは現在、公開できる場所が一つもない美術館という状況にある。ハラダハウスとすべての計画をできるだけ早く進展させて、再び一般の人々を歓迎できるようにすることが非常に重要だと力を注いでいる。また、当面のバーチャルツアーやビデオプログラムをできるだけ早くリリースする予定。また、ハラダハウスの隣にあるロビンソンハウスを再建し、ハラダハウス通訳センターとなることも検討中だ」
【長井智子、写真提供=リバーサイド博物館】

資金調達率は13・29%
日本人移民の闘いを後世に
ピーターソン館長

ハラダハウスの寄贈式

 2020年は新型コロナウイルスのパンデミックとともにブラック・ライブス・マター運動で再び公民権運動に光が当てられた年だった。
 ハラダハウスの資金調達の達成率は現在のところ13・29%だという。まだ多くの資金を得る必要がある。100年前の日本人移民の闘いを伝える史跡が公開される日が早く来ることを願いたい。
 ハラダハウスについては、ハラダハウス財団のウェブサイトからも情報を得ることができる。寄付も受け付けている。
 リバーサイド博物館のバーチャル展示は—  
 https://www.riversideca.gov/museum/haradahouse/
 ハラダハウス財団—
 www.haradahousefounda tion.org
 ハラダハウス財団への寄付は—
 www.haradahousefounda tion.org/donate/

存続危ぶまれる史跡
全米トップ11を発表
全米歴史保存トラスト協会

 米国の歴史の現場を守るための寄付を呼び掛ける全米歴史保存トラスト協会は、史跡を保存する意義について、歴史は私たちが最も必要とするときに、勇気、癒やし、そしてインスピレーションを提供するとしている。

国定史跡に指定されたハラダハウスの碑石。小さくあまり目立たない

 協会はワシントンDCに拠点を置き、米国の歴史保存の分野で活動する民間非営利団体。そのプログラムの一つとして毎年「全米で最も存続が危ぶまれる11の史跡」を発表している。何もしなければ歴史のゴミ箱に追いやられる可能性のある、建築的、および文化的な意義の高い場所を史跡として保存するように鼓舞することを目的とする。1988年に開始した過去のリストの中には現在史跡として保存されているものもあれば、解体されてしまったものもある。
 2020年のリストは女性史、文化に意味を持つ場所が多い。同協会はこのリストから、人々が歴史を守るために何ができるかを考えてほしいと呼び掛けている。
 協会ウェブサイト—
 https://savingplaces.org/
 2020年の全リスト—
 https://savingplaces.org/stories/discover-americas-11-most-endangered-historic-places-for-2020#.X-evnx17mtg

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