されど呼び名

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 いじめ防止のため最近の日本の小学校ではあだ名が禁止というニュースを読んだ。苗字に「さん」を付けて呼ぶ。正当だが、個性に欠ける気がして残念。近年は創造性豊かなキラキラネームも幅を利かせるが、そんな時代とも逆行していないだろうか。
 確かに、意図はなくても傷つくことはある。私も幼稚園のとき、「ともこちゃん」が2人いたことから私は「ともちゃん」、もう1人は「もこちゃん」と呼び分けられていたのが嫌だった。先生にとっては便利で合理的でも、私は心の中でいじけていた記憶がある。こんな感傷がいまだに出てくるのだから、たかが呼び名、されど呼び名である。
 そもそも、あだ名と愛称は違うはず。愛称ならもっと思いやりを感じる? さらには、なぜ他人が自分の呼び名を決めるのだ? 愛称は自分自身で決めたら良いのではないだろうか。
 洋楽ロックに目覚めた中学時代、体の片側半分を男装、もう半分を女装したアリス・クーパーの写真に深く感化され、私は「自分のあだ名はアリスにする!」と宣言した。親友2人は当時の人気漫画「がきデカ」の登場人物から「ジュンちゃん」(風吹ジュンがモデルといわれている)と「モモちゃん」(山口百恵がモデルといわれている)を宣言した。青春の笑い話だが、独身時代の友人は今でも私をアリスと呼ぶ。その後は結婚や子育てなど人生の違うステージに入り、そんな呼び名も薄れてしまったが、自分でつけた名前は自分のアイデンティティーの一部となっている。
 建築家のイサム・ノグチは、生まれたてでは個性が不明だからという理由で、3歳ごろまで親から名前を与えられなかったと聞く。真偽はともかく、私は「これは一理あるなぁ」と感心した。子供への勝手な期待を名前に託すのは親のエゴでは? 少なくとも、名前負けは減りそうだ。
 というわけで、小学校の子供たち諸君には、新学年の自己紹介で「僕はこう呼んでね」と愛称宣言をしたら?と提言したい。件のニュースにもあったように、呼び方を変えたところでいじめ防止にはならないかもしれないが、いじめを跳ね返す自己の啓発には役立つかも、と思う次第である。【長井智子】

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