野本一平さん死去、88歳:僧侶、作家、教育者など多才

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2月27日に88歳で亡くなった野本一平さん

 羅府新報の「木曜随想」の寄稿者で、病気療養のため休筆していた野本一平さん(本名・乗元恵三さん)が2月27日、亡くなった。享年88。

 良き夫、父、僧侶、作家、芸術家、教育者として多彩な才能を発揮した野本さんは、家族に囲まれて静かに息を引き取った。
 野本さんは、1932年7月7日に岩手県前沢でお寺の子として生まれ、京都の龍谷大学で学んだ。1962年10月に、米国仏教70周年を祝う僧侶代表団の一人として初めて米国を訪れ、米国が提供する自由と機会に触れたことが人生の極めて重要な転機となった。
 63年5月に小東京の本派本願寺別院に開教使として渡米し、70年9月に同別院副輪番に就任した。76年7月からフレスノ別院に転勤し、80年4月から輪番を務めた。
 また、野本一平のペンネームで著述家として活躍し、多くの本やエッセーを書いた。米国に暮らす日本人の視点に立ち、特に自伝的なエピソードや著名な日系人について関心が高く、6冊の本を出版したほか、羅府新報や仏教タイムス、TV FAN、北米毎日など日本語メディアに定期的に寄稿していた。日頃目立たない日系人に光を当てたいと常に話していたという。
 65歳で米国仏教団を退職してからは、米国の日系新聞として2番目に長い歴史のあるサンフランシスコの北米毎日新聞で、97年7月から社長を務め、毎週、同紙にコラム「無笛抄」を執筆。2003年に辞任し顧問になった。
 10年、米国での日本語教育の推進と米国での日本人の福祉に尽力した功績により日本国より旭日双光章を受章した。仕事を愛し執筆も精いっぱい努力し、常に時間の無いことを嘆いていたという。
 16年、脳梗塞を起こし右半身が不自由な生活となる。「執筆好きの主人にとって筆の持てない悲しみは大きかった」と妻・敏子さんは話す。
 友人にコンピューターの使用を勧められたがなじめず、愛用のモンブランの万年筆で原稿用紙を埋めていく作業のできる日を待ち望んでいた。
 欲がなく控えめでシンプルを好んだ。物にこだわらず人と人との関係を円滑にする頼りがいのある人だった。そして常に向上心に燃えていた。

羅府新報の木曜随想の人気寄稿者だった野本一平さん

 いつも静かに微笑みをたたえ、人々を見守る温かい人柄とユーモアを持ち合わせていた野本さん。豊富な知識と多彩な話に皆魅了された。機知、知性、そして最も深遠な考えを最も分かりやすい言葉で表現する卓越した能力が心より惜しまれる。
 遺族には妻の敏子さん、娘の加奈さんと夫小山健さん、息子の多聞さんと妻の畑中幸子さん。また、4人の孫に奈々恵、瑛実、恵信、真矢さんがいる。
 葬儀は家族葬で営まれ、人々が安全に集まれるようになった暁に追悼式を行うことが計画されている。
 生前の野本さんの執筆を読めるウェブサイトがある。
 http://ippeinomoto.blog.fc2.com/blog-entry-12.html
 著述(全て野本一平のペンネームを使用)
「詩片断想」(私家版)ロサンゼルス、76年
「かりふぉるにあ往来」ミリオン書房、85年
「亜米利加日系畸人伝」彌生書房、東京 90年 日本各紙が書評掲載
「箸とフォークの間」邑書林、長野 96年、NHK「私の本棚」で朗読、紹介
「宮城与徳—移民青年画家の光と影—」沖縄タイムス、那覇、97年、NHK「週刊ブックレビュー」批評、紹介
「信州の空 カリフォルニアの風」小沢書店、東京 99年、日本各紙が書評掲載
「続・箸とフォークの間」邑書林、長野 2002年

先輩開教使に心から感謝
元西本願寺別院輪番
松林忠芳

 西本願寺羅府別院に私が着任したときに、先輩の乗元さん(野本さん)にかわいがってもらった。上の方(輪番)を支え、下の者にも優しく、面倒見がよく人望を集めていた。岩手のお寺の息子として仏道に生きた方らしく、開教使という忙しい仕事をきちんとこなしながら、文筆活動にも精を出していた。両立するのはたやすいことではなく、どうやって時間を作っているのか不思議だった。
 日本からアメリカに伝えられた仏教は、日本では見られないスタイルで、独自の布教・伝道が行われている。それと同様に、乗元さんは分野の違う文学においても単なる紹介に終わらず、アメリカで日本文学の普及に尽力された。本当に頭が下がる。開教と文筆を分け隔てることなく、二足の草鞋(わらじ)を上手に履きこなしているようで、とてもまねできることではなかった。
 文学の研究にも力を注いで、同郷の石川啄木など、作家ゆかりの日本各地の記念館や歌碑、文学資料館などを訪れ勉強し、向上心が尽きることはなかった。書評や詩評は、適切な指摘でとても分かりやすく、アメリカの日本文学界と仏教会の発展に貢献した功績は大きい。
 晩年は、筆を持つ力がなくなっても、病床で奥さんに言葉で伝え原稿を書いてもらい、「木曜随想」を寄稿していた。責任感の強い乗元さんらしかった。多才で、親譲りが口癖だった能筆は、毛筆が際立って美しかった。几帳面で職場の机の上は常に整えられていた。穏やかな性格で、誰とでも話ができる気さくな人だった。日本から来た移民精神を強く持ち、われわれの鑑(かがみ)だった。ありがとうございました。心から感謝します。

歌集を的確に批評
カリフォルニア短歌会主宰
松江久志

 一平さん、あなたが亡くなったとは信じがたいです。頑張って一命を拾い、快復の様子を聞いていたので、私は奇跡があることを信じていました。奥さまから悲報を耳にしたときは絶句。頭が無になりました。「生が終われば死が始まる。生が終われば死も終わる」と寺山修二が言ったと聞いていますが、死を意味する言葉に往生がありますね。実は往生は死ぬことでなく、「往って生きる」ことと、仏教徒でない私も理解しています。あなたは死んだのではなく、仏になったということですね。どちらにしても、遠い人になってしまったことが無性に悲しいです。
 優しい奥さまに最高の看護を受けながら、精一杯頑張ったんですね。偉い。とはいえ、まだ書くことがたくさんあるから死ぬわけにはゆかぬと、あなたが漏らした言葉に私もすがったんですよ。それでもあなたは随分いろいろ書き残してくれました。60年代の初めに出会ったときから今日まで、私の半世紀にわたる短歌活動にも常に目を注ぎ、歌集を出すたび的確な批評と紹介の労を取ってくれました。書いたものは互いに目を通しあってきましたね。文学を通してあなたと知り会えたことは本当にラッキーでした。ありがとうございました。悲しみで書く言葉も浮かんできませんが、温かいご厚誼を頂いたことは忘れま

多くの孫に囲まれる野本さん夫妻(前列左端)

せん。いずれあなたと話し合えるときまで安らかに過してください。

30年間、休まず執筆
元TVファン発行人
竹内 浩

 「TVファン」誌に30年近く休みなく毎号執筆して頂きました。「いっぺいのもう(一平野本)」のペンネームの通りお酒が好きで、文学を愛し、また美術に造詣が深く、いつも勉強させられました。残念でなりません。ご冥福をお祈りいたします。

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