オダ氏に旭日双光章授与:日系社会の福祉向上と日米親善に寄与

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勲章伝達式

伝達式で武藤顕総領事(右)から旭日双光章を授与されるナンシー・オダ氏

 在ロサンゼルス日本総領事館は、令和2年(2020年)春の叙勲受章者で、元サンファナンドバレー日系コミュニティーセンター会長および現ツナ・キャニオン拘置所連合会会長のナンシー・キョウコ・オダ氏に対する叙勲伝達式を11日、総領事公邸で行った。オダ氏は米国における日系社会の福祉向上および日米間の友好親善に寄与したことが認められ、武藤顕総領事から旭日双光章を授与された。

 ナンシー・オダ氏は1978年以降、40年以上にわたり、サンファナンドバレー日系コミュニティーセンターの会員として活動し、小学校の校長の職を17年間務めた経験と優れた指導力から、2011年に同コミュニティーセンターの会長に就任した。2年間の会長任期終了後、現在も役員を続け、千家族の会員がいる同コミュニティーセンターの発展を支え、日米交流の促進に多大な貢献をしている。
 会長に就任した11年に東日本大震災が発生した際には、同コミュニティーセンターおよび地域の日系団体などに働きかけ、積極的な募金活動に取り組んだ。年間を通じて集まった義援金計11万ドルを日本に送金し、5年後の16年には、震災孤児を支援するための義援金募金イベントも開催した。

勲章伝達式には家族が参列し、ナンシー・オダ氏(左から4人目)の受章の喜びを分かち合った

 ツールレイク強制収容所で日系3世として生まれたオダ氏は、生き延びることができたからには、収容所での出来事を伝えていく責任があると確信し、カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)の東アジア研究学科に在籍中に、父タツオ・イノウエ氏が、強制収容所での出来事を記録に残した「ツールレイク軍事刑務所日誌」の英語翻訳に取り組み、18年には、第2次世界大戦中の日系人の歴史を保存するUCLAのスヤマ・プロジェクトの一環として、同日誌の英語翻訳版をオンライン出版した。
 13年6月、荒地となり、住宅地開発が計画されていたツナ・キャニオン拘置所跡が、ロサンゼルス市の史跡に認定された。ツールレイク収容所の生存者であるオダ氏は、サンファナンドバレー日系コミュニティーセンターの会長として高い指導力を発揮していた功績が認められ、14年にツナ・キャニオン拘置所連合の初代会長に就任し、非営利団体として発足させた。
 オダ氏の主導の下、ツナ・キャニオン拘置所の歴史的事実の認知を広める巡回展が企画されるとともに、米議会による日系人収容所助成金プログラムから助成金を獲得し、巡回展の実現に至った。巡回展「オークの木だけが知っている」は、2千人以上の拘束された日本人、ドイツ人、イタリア人移民および送還された日系ペルー人の拘置所での経験を写真、手紙、日記などによって紹介するもので、西海岸12カ所で開催された。同連合発足以前はほとんど知られていなかったツナ・キャニオン拘置所は、同氏の優れた統率力と、同連合の活発で継続的な広報活動およびロビー活動の結果、19年には、ロサンゼルス市が確保したツナ・キャニオン拘置所跡の一部の土地に、拘置所跡地看板が設置されるに至った。
 また、日系人強制収容の歴史を若い世代へ伝えるために、UCLA、カリフォルニア州立大学ノースリッジ校および同ロングビーチ校ほか、多数の高校や教育団体に出向いて強制収容の事実を後世に伝える活動に積極的に取り組んできた。
 勲章を胸につけたオダ氏は、羅府新報の取材に応え、オダ氏を支えた両親と家族、そして奉仕活動をともにした地域コミュニティーのメンバーに謝意を表した。オダ氏が語った受章の喜びのコメントは次の通り。

オダ氏、日米の強い絆を祈念
受章を励みに頑張る

 受章できて光栄です。どうもありがとうございます。
 両親が私に与えた協子という名は、両親から私へのかけがえのない贈り物です。協力を表す協という漢字は、私が調和を生み出すことを意味していました。父母の希望は、私が地域社会や友人、家族と一緒に世界に変化をもたらすことでした。
 私が夢を追い、挑戦を受け入れ、飛躍することができたのも、親愛なる夫のケイの励ましがあってのことです。
 私にインスピレーションを与えてくれた二つの組織に感謝します。まず、サンファナンドバレー日系コミュニティーセンターからは長年、日系米国人の体験を紹介する機会を与えていただきました。
 また、ツナ・キャニオン拘置所連合の情熱は、私に、日本人、ドイツ人、イタリア人の移民、そして第2次世界大戦中にペルーなどから連れて行かれた日本人の話を保存する力を与えてくれました。
 東日本大震災が発生から10年となった今年の3月11日、私は日米がこれからも強い絆で結ばれることを祈念します。
 収容所にいた子供として、私はこのような貴重な表彰を受けるとは思ってもみませんでした。これからも頑張っていきます。本当にありがとうございました。

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