アーバー氏に旭日双光章:ヤマハタ氏は旭日単光章

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令和3年・春の叙勲

旭日双光章を受章するアーバー氏(左)と旭日単光章が授与されるヤマハタ氏

 日本政府は4月29日付で、令和3年(2021年)春の叙勲受章者を発表した。在ロサンゼルス日本総領事館管轄区域関係者では、ロングビーチ市在住のダグラス・アーバー氏に旭日双光章を、パサデナ市在住のデイビッド・ミキオ・ヤマハタ氏には旭日単光章がそれぞれ授与される。アーバー氏は日米の地域間交流および相互理解の促進に寄与し、ヤマハタ氏は米国における日系社会の福祉向上に貢献したことが認められた。両受章者の対日功績を紹介する。

ダグラス・アーバー氏(55)
【旭日双光章】

 ダグラス・アーバー氏は40年近くにわたり、職務およびボランティア活動を通じて、日米の友好親善と対日理解の促進に多大な貢献をした。南カリフォルニアの重要な日系団体である南カリフォルニア日米協会(JASSC)に、27年間属し、17年もの間、会長として、同協会の戦略立案および文化交流や友好親善を図る数多くのイベントやプロジェクトの企画および遂行の指揮を務めた。また、ハンティントンビーチ姉妹都市協会の会長に就任するなど、日米の友好親善の促進に尽力した。

2019年にロングビーチで開かれたアキュラ・グランプリでインディカー・ドライバー佐藤琢磨選手(右)のピットを訪れ激励するアーバー氏。南カリフォルニア日米協会はインディ500を2度制した佐藤選手の応援に力を入れており、佐藤選手は日米協会のゴルフ大会に参加したことがある。大会後の表彰晩餐会であいさつし参加者を喜ばせた

 特に、2011年の東日本大震災復興支援においては、JASSCの会長として、理事会と協力し、即座に日本救援基金を立ち上げ、義援金を積極的に呼び掛けた。同年3月末までには、100万ドル近くが、16年までには、150万ドル以上がJASSCに募り、被災地の団体へ直接送った。震災後もしばしば、JASSCの救援基金を通じて支援した団体や施設を訪問した。さらに、福島の児童施設にいる子供たちをロサンゼルスへ招待する「福島ユース文化交流事業」を13年から18年まで実施するなど、東日本大震災復興の支援に長期にわたって尽力した。
 また、同氏は、01年11月に、日本から江戸たこ師の土岐幹男氏を招致し、日本のたこを紹介する「日米たこ揚げ大会」を実現させた。このイベントは、土岐氏の日本たこ揚げ実演の他、あめ細工や太鼓演奏および日本食の販売など、日米の文化交流を促進させ、南カリフォルニアの有力紙に取り上げられるなど、大きな反響を呼んだ。13年には、1万5千人が参加し、日本以外で最大規模のたこ上げイベントとなった。また、アーバー氏は、01年から土岐氏とともに、ロサンゼルスの公立校を訪問し、1300人の子供たちに、竹と和紙を用いた日本のたこ作りを伝授するワークショップを続けている。 
 15年5月、安倍晋三総理(当時)ロサンゼルス訪問の際、JASSCは在ロサンゼルス日本総領事館と共催で歓迎昼食会を開催した。同氏はエリック・ガーセッティ・ロサンゼルス市長や他の日系団体との連携をはじめ、昼食会の企画および運営を担い、昼食会を成功裏に収めた。
 アーバー氏は、1984年、大学1年生の時に、ハンティントンビーチ市と姉妹都市関係にある愛知県安城市の交換留学に参加した。深い感銘を受け、89年、安城市へ戻り、そこで2年間、英語指導助手兼国際コーディネーターを務めた。米国に帰国後、ハンティントンビーチ姉妹都市協会に最年少の理事として加わった。94年から3年間、会長に就任し、安城産業文化公園ガーデンパークの97年開園に合わせ、ハンティントンビーチ市で実際に使われていた油井ポンプを友好の象徴として寄贈するなど、安城市とのつながりをより深いものへと引き上げた。その後は、アドバイザーに就任し、02年に、安城市市制50周年に際しハンティントンビーチ市で安城市からの訪問団を迎えて開催された、両市の永続的な友好関係を誓う式典の開催や、14年の「ハンティントンビーチ桜祭り」(現オレンジ郡桜祭り)の立ち上げに貢献するなど、現在もアドバイザーとして両市の友好親善と文化交流の促進に尽力している。

デイビッド・ミキオ・ヤマハタ氏(68)
【旭日単光章】

 デイビッド・ミキオ・ヤマハタ氏は、1977年、ロサンゼルス市消防局(LAFD)に採用され、85年に日系人初となるキャプテンに就任。2011年にはLAFD125年間の歴史上、日系を含むアジア系として初となる同消防局本部副本部長に昇進し、日系のみならずアジア系米国人の地位向上に大きく貢献した。
 消防局本部キャプテン時代から日系コミュニティーへの貢献に注力し、消防局が展開する地域住民に向けた基本的な教育プログラムにも積極的に関与した。市消防局の代表として「小東京防犯協会」の月例ミーティングに参加し、災害危機管理対策の情報提供や、メンバーのオフィスで治安改善の指導にあたるなど、さまざまな日系団体に対して常に惜しみなく消防の知識を広め、30年以上の長きにわたり消防のエキスパートとして日系コミュニティーの防災、治安、着実な発展に縁の下の力持ちとして継続して貢献した。

実行委員長に就任した2019年の二世週祭で、ジュリ・ヨシナガ女王(左)とコートと協力し、祭りを成功に導いたヤマハタ氏

 消防局本部副本部長時代には消防を通じた日本との国際協力にも積極的に取り組み、日本から派遣された調査団に対しても、ロサンゼルス市消防局の代表として業務内容の説明などを行い、日本の地方自治体の消防能力向上にも貢献した。 
 15年、二世ウィーク財団の理事に、19年には同財団会長(二世週祭実行委員長)に就任。消火活動を行ってきたヤマハタ氏らしく、日系社会をさらに盛り上げる思いも込めて「ファイヤーアップ」を祭りのテーマに掲げさまざまなプロモーションを展開した。
 とりわけ、19年7月ロサンゼルス・ドジャースの「ドジャース・ジャパンナイト」において、ドジャーズの前田健太投手やエンゼルス大谷翔平選手、テニスの大坂なおみ選手といった日本を代表するスポーツ選手が集まる中、観客に対して二世週祭への参加を呼び掛け、多くの人々に同祭を紹介した。また、同年の二世週祭パレードへのエリック・ガーセッティ・ロサンゼルス市長の登場も実現させた。
 20年の二世週祭はオンライン開催とせざるを得なくなった中、実行委員長を引き続き務め、持ち前のリーダーシップを発揮し、二世週祭のウェブサイトを一気に刷新した他、新たに今後の実行委員長の長期継承計画を作成するなど、危機を好機に変えながら二世週祭の発展に引き続き大きく貢献している。
 13年の「在米日系人リーダー招聘(しょうへい)プログラム」での初訪日をきっかけに以前にも増して積極的に日系団体活動に携わるようになった。13年、消防局退官後はこれまでの経験を生かし、基本的な医療援助の提供や安全な犠牲者の救助方法、地震や津波が起きたときの心構えなどをさまざまな日系コミュニティー団体に直接出向き、指導している。日米文化会館の理事としても年に一度行われる避難訓練の指導にあたっている。
 ヤマハタ氏のLAFDにおいてアジア系米国人としては最高位まで昇進した功績、そして日系コミュニティーに対する惜しみないボランティア活動は日系人の福祉向上に大きく貢献し、日系人と日本との関係を深めることを通して日米関係の強化に貢献している。

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