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 六月のことを、古い日本語では「みなづき」と呼んでいる。  漢字を「水無月」とあてて、書いている。文字の意味をそのままとると、水の無い月とうけとれる。  六月が水の無い月だなど、とんでもないことで、日本は梅雨の季節である。  では何故、「水無月」と書くのであろうか。漢字の「無」をナと読ませているが、文字通り無いという意味ではなく、これは何々の、にあたる所属を表わす「の」の意味で、ただ「無」という字をあてただけである。  たとえば、ミナモトの語源は「ミズノモト」(水のもと)だし、ミナトが「ミズノツ」(水の津)であるように、ミナヅキは「ミズノツキ」(水の月)ということになる。  漢字で水無月と書いたのとは、まったく反対の意味で、日本の季節がいうように、六月はまちがいなく、水の月にちがいない。というより、いよいよ暑さに向かう月でもあり、水の重宝な季節を、こう呼びならわした昔の人たちの、自然観がうれしい。  前置きが長くなった。  ところで現代詩人は、この六月をどのように詠っているのだろうか。  井上靖の詩を読んでみよう。多くの人たちは、彼を詩人としてより、高名な小説家として記憶している。だが知る人は、彼は終生、詩人の務侍(きょうじ)を持した作家であったことを、ひそかに敬愛する。

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 ここ数年、特にコロナ禍になってからよく耳にするようになった言葉がある。「キャンセル・カルチャー」と「Woke(ウォーク)」だ。どちらも社会現象となり多くの論争を巻き起こしている言葉だ。  キャンセル・カルチャーとは、主に著名人や芸能人の言動や意見を糾弾し、みんなで寄ってたかって、その人の存在を否定し「あなたはもう用なしだ!」と封じ込めてしまうことだ。ネット社会で実に多く見られるようになった現象で、最近の例では、コメディアンのエレン・デジェネレスがホストを務める18年前から続いてきたショー番組を、2022年のシーズン19で終了すると発表し、その原因がキャンセル・カルチャーだと言われている。この番組は去年、制作現場が劣悪でパワハラが行われていると元スタッフに指摘されたことによってプロデューサーらが解雇され、エレン自身も謝罪声明を発表していたが、ネット炎上は収まらず、エレンと番組への非難が高まっていた。少し前にはハリー・ポッター・シリーズの著者JKローリングが、トランスジェンダー批判と受け取れるような発言をし、彼女を糾弾する意見がネットに溢れ、それに対して、彼女やほかの著名人が、キャンセル・カルチャーを魔女狩りに見立てて反撃したということもあった。

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 風薫る5月。新芽が吹き出す5月。その上を渡ってくる風の中に、爽やかな色やかすかな匂いを感じる。世界の言語にはそれぞれの良さがあるだろうが、英語圏の中で生活していると、四季折々の自然の変化を繊細に表す日本語に出くわして、しばし感嘆することがある。ああ、いいなあ、なんてピッタリの表現だろう。言語のいらない芸術もあるが、なんとも言えない体感を、言葉でドンピシャリ表現できたらと思う。特にみずみずしい若葉を見る春先は、ふさわしい言葉を求めてさまよう。  そんなうれしい季節を追いかけるように、コロナワクチン接種も進み、人々が蟄居(ちっきょ)生活から外に出て背伸びする。  ビジネスの世界に身を置いているが、コロナの驚異が始まった最初の3カ月を過ぎた7月初めから、エッセンシャルワーカーの私は、いつも通り働きに出て、忙しい毎日だった。しかし、街はまるで無人の別世界で、人っ子一人歩いていず、車一台走っていなかった。フリーウエーはガラガラで別世界に向かって吸い込まれるような恐怖を感じたものだ。思わず身震いした。そういう状態が約半年続いた。ワクチン開発のニュースとともに、だんだん人影が増し、走る車も増えてきた。人間世界に戻ってゆくプロセスを目の当たりにして、うれしかった。人の姿を目にするとホッとした。千差万別な人々がいてこそ、世界に意味がある。  コロナ自粛が終了したら、何を一番最初にしたいかという調査結果をタウン誌で見た。一番人気は友達と会ってお茶を飲みながらおしゃべりをすること。こんな何でもないことができなくなって初めて、それが、実は私たちの精神衛生に大切な役割を果たしていたのだと再認識した。  先日ワクチン接種を終えた友人を訪問し、一杯のコーヒーを前に、1年ぶりにおしゃベリした。白髪としわが増えたのはお互いさまで、1年分の歳は十分にとっていたが、老いた体に潜む変わらぬ乙女心は健在であった。話したいことは山ほどある。コロナの閉じこもり生活の中でこそ見つめた、何が大切で、今、何をしておかねばそう遠くない自分の死に間に合わないかなど、話し合った。庭は花々であふれ、海からの潮風、さえずる小鳥たち、ふんわり温かい大気に包まれた会話。コロナ禍を耐えた後のやすらぎだ。  ふと、もしわれわれが40~50年前に渡米せず、日本で生活していたらどうなっていただろう、と友が言った。当時の米国生活では周囲に日本人、いやアジア人さえいなかった。一人ぼっちで道なき道を切り開いてきた。がむしゃらな努力の末に手に入った小さな達成感。そして老いた時、ようやく来し方を振り返る余裕を持つ。  私の脳裏にはいつも一人の日本女性の姿がよみがえる。若かった頃、親戚の葬式に田舎へ帰省した時のこと。葬式の手伝いに来ていた近所の農家の5〜6人の主婦たちの中にその人はいた。真っ白いエプロン、きちんと結んだ髪、すっと立つ姿に、思わずあの人は誰と聞いてしまった。葬式終了後に、その人から私の所にお茶を飲みに来ませんかと誘われた。母屋の物置だった暗い場所に一人住まいだった。3畳の畳をひき、土間で煮炊きをする。出された一杯のお茶は熱くておいしかった。梅干しの汁に漬けられた桜色のカブの漬物が出された。カブの自然の甘さと梅干し汁の酸っぱさが程よい加減だ。その人は正座して、天候やお米や野菜の収穫状況などを話した。彼女は嫁に行った先の婚家と折り合いが悪く帰ってきた。兄が継いだ家の物置に住まわせてもらい、近所の野良仕事の手伝いなどで生活していた。トイレは家から離れた畑の中だった。夜はそこに行くのに、懐中電灯がいる。そういう暮らしでも、手作りの棚に最低限度の生活用品が並び、きちんとした生活が伺えた。  その人が今の時代に生きていたら違った生き方ができたのではないかと思い出す。今はいろいろな選択ができ、何度でも再出発できる。選択がなかった時代に覚悟を決め、清廉潔白に生きた人もいた。自己責任を持って、やりたいことに挑戦できる今の時代。先人が汗と涙のこの道を作ってくれた。その恩権を受けた者として、それをどう社会に還元できるか、還元したい、しなければと思う。選択がなかった人たちの生涯を思いながら、一杯のコーヒーを前に滞米50年の友と語らう。道は続く。庭の若葉がまぶしく、風が薫る。