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広島と長崎、原爆犠牲者の追悼法要  「それは美しい夏の日の朝でした。74年前の8月6日、当時7歳だった私は2歳年上の兄とともに、爆心地から約0・6マイル(およそ1キロ)の場所で被爆しました」。小東京の高野山別院で4日に行われた記念法要にゲストスピーカーとして出席していた日系3世のハワード蠣田(かきた)さん(81)は、自らの被爆体験を当地の人々に伝える。核兵器廃絶を訴え、平和への思いを次の世代に語り継ぐ蠣田さんの被爆体験を聞いた。【吉田純子、写真も】

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広島と長崎、原爆犠牲者の追悼法要  小東京の高野山別院で4日、広島と長崎の原爆犠牲者の追悼法要が行われた。被爆者たちの悲惨な体験と心に焼きついた傷跡―。追悼法要には広島で実際に原子爆弾(以下、原爆)の被害にあった被爆者たちの姿があった。次の世代に自らの体験を語り継ぎ、平和を願う彼らの声を聞いた。【吉田純子、写真も】

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 第79回二世週祭の「コロネーションボウル」が10日夜、小東京のアラタニ劇場で盛大に開催され、米国日系レストラン協会(JRA)推薦のジュリ・ヨシナガさん(23)が2019年度の新女王に輝いた。  和太鼓が轟く中、新女王の名前が響きわたると、ヨシナガさんは一瞬息が止まったように立ちすくんだ。次の瞬間我に返り、驚きと喜びを交えた表情に。仲間の候補者たちと手を取り合い祝福を受けた新女王はしっかりと正面を向いた。【麻生美重、写真=永田潤】  

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 日本から最初にアメリカ本土に入植した移民団がカリフォルニア州北部ゴールド・ヒルにアメリカ本土初の日本人入植地「若松コロニー」を形成してから8日で150年を迎えた。同日、跡地では記念式典が行われ、日米にいる移民団の末裔や関係者らが出席。会津松平家の末裔も日本から訪れ、当時の藩主が果たせなかった先駆者たちとの「義(約束)」を150年の時を経て、この日果たした。【吉田純子、写真も】

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「あなた26歳でシェフになんてなれるわけがない」。元夫が言い放った言葉が彼女の闘志に火をつけた。そして心に誓った。「私は自分が『シェフだ』と言えるようになるまで絶対に諦めない」と。ロサンゼルス・ダウンタウンにある複合施設「ROW DTLA」に昨年12月にオープンした唐揚げ(フライドチキン)専門店「Pikunico(ピクニコ)」。そのオーナーの八木久二子さんは日本では元銀行員。料理などしたこともなかった彼女がアメリカで良き出会いに導かれ、有名店での修業を経て、自らのレストランを開店した。LAで頑張る女性のひとり八木さんにメニューへのこだわりや開店までの経緯など話を聞いた。【吉田純子、写真も】

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新たな地で日本食レストラン再開  「深い暗闇の中に突き落とされたような気分だった。でも振り返っていても仕方がない。生きていればまたやり直せる―」。昨年11月8日にカリフォルニア州北部ビュート郡の町パラダイスで発生した山火事「キャンプファイア(Camp Fire)」。全米最悪規模となったこの山火事で被災した小島智代さん、成朗さん夫妻は、住居と所有していたレンタルハウス、そして経営していた日本食レストランすべてを失った。避難生活を送るなか心機一転、今年3月5日には現在暮らすレッドブラフでレストランを再開。山火事から半年が経過した今、小島さんに山火事後の生活とレストランを再開するまでの経緯を聞いた。【吉田純子】

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 新天皇陛下が即位され令和が幕開けし、日本は新たな時代を迎えた。南カリフォルニアの日系社会も母国と同様に祝賀ムードに包まれ、その喜びと期待の大きさを見開きページで紹介する。皇太子時代の2008年に小東京を訪問され、全米日系人博物館を見学された新天皇。新皇后雅子さまとご一緒に日系社会への再訪が待ち望まれる。【取材=永田潤、吉田純子、麻生美重】

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排日運動の最中 北米最初の日本人移民団の存在伝える  今から150年前の1869年(明治2年)、日本からカリフォルニアにやってきた北米最初の移民団はエルドラド郡ゴールドヒルでアメリカ本土初の日本人入植地「若松コロニー」を形成した。羅府新報新年号特集「若松コロニー」の記事でも紹介したが、その一員で19歳という若さで亡くなった少女おけいはアメリカ本土の土に眠る最初の日本人女性とされている。今回、彼女の存在を1916年に最初に世に知らせた竹田文治郎(雪城)の記事をここに紹介したいと思う。排日運動の波が吹き荒れる当時の日系社会に、おけいと彼ら以前にいた北米最初の日本人移民団の詳細を伝えた記事である。【吉田純子】

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海渡り「若松コロニー」形成 日米両国にいる末裔、先祖への思い 小高い丘の上にある小さな墓―。このカリフォルニアの大地に眠るのは、今から150年前、日本から最初にアメリカ本土にやってきた移民団のひとりで、アメリカ本土で最初に亡くなった「日系移民の女の子」の墓だ。彼女の名は伊藤おけい(以下、おけい)。  1869年(明治2年)、夢と希望を胸に会津若松(福島県)からやってきた移民団22人はカリフォルニアにアメリカ本土初の日本人入植地「若松コロニー」を形成した。彼らは日本からアメリカ本土に渡った最初の入植者だ。プロイセン人の武器商人ヘンリー・シュネル率いるこの移民団は、戊辰戦争に破れた会津藩の侍などで形成され、カリフォルニアの地で茶と絹の栽培を試みる。しかしわずか2年で若松コロニーは崩壊。その後、彼らは日米で別々の人生を歩むこととなる。  2019年はこの最初の日系移民がアメリカ本土に入植してから150周年を迎える。そして今、日米両国にいる彼らの末裔が羅府新報に先祖への思いを語ってくれた。  150年前にアメリカ本土へと海を渡った先駆者たちの勇気と開拓者精神に思いを馳せ、この記念すべき年に彼らの歴史をここに振り返ってみたいと思う。【取材=吉田純子】

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 1985年、熊本出身の職人がロサンゼルスに和菓子屋を開店した。日本各地で鳴らした和菓子職人の率いるこの店が、地元の茶の湯で信頼される存在となるのに時間はかからなかった。順調だった店にやがて最初の不幸が訪れ店は窮地に立たされる―。創業者家族から店を受け継ぎ再建させた妹夫婦。いくつもの困難を乗り越え不安に苛まれながらも、兄から受け継いだ職人の技を以って、今では店を順調に切り盛りする。「周りの人に助けられてここまで来た」  ロサンゼルスに残る数少ない和菓子屋のひとつ、「ちからもち」の34年の足取りを取材した。  【麻生美重】

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