生涯現役を貫いた名司会者
コロナパンデミックで在宅勤務となり、一つ良かったことは、家族がそろって夕飯を食べられるようになったことだ。時には残り物のリメイクであっても、温かい食事をみんなでいただけるのはうれしい。 そんなわが家の夕食時、クイズ番組「ジェパディ!」を見ながら解答合戦をするのが恒例になっている。
コロナパンデミックで在宅勤務となり、一つ良かったことは、家族がそろって夕飯を食べられるようになったことだ。時には残り物のリメイクであっても、温かい食事をみんなでいただけるのはうれしい。 そんなわが家の夕食時、クイズ番組「ジェパディ!」を見ながら解答合戦をするのが恒例になっている。
日本の政策でこれからはたとえローマ字であっても名前の標記は名字(姓)・名前(名)で統一するようにと推奨している。政府関係書類のローマ字表記の名前はこれから徐々に姓→名の順にしていくらしい。 別にそれらのやり方に異を唱えるつもりはないが、長らくアメリカに住んでいるとファーストネーム、ラストネームに馴れてしまって、いまさら姓・名で書き記せといわれてもピンとこない。
1957年に第1回、1960年以降毎年日本で行われている「海外日系人大会」は今年が節目の60回目になります。主催は公益財団法人海外日系人協会、ホームページにはその目的が「海外および国内に在住する日系人が母国で一堂に会し、居住国の実情を日本に知らせ、あわせて国際交流、国際理解、国際親善を深め、対日理解の促進を図る」となっています。
先月、栗城史多さんの訃報がひっそりと報道されました。彼のことは、以前このコラムでも書きましたが、世界七大陸の最高峰を単独無酸素で挑戦した方です。最後に挑戦したエベレストから生きて帰ることができませんでした。それでもこれだけの事を成し遂げたのですから、登山家として尊敬の念をもったものであるべきだと思っていたのですが、登山の専門家からは、無謀な登山をし続ける素人として非難を受け、関心を持たれてきませんでした。
日本語の文章を執筆中、濁音の振り仮名でしばしば手が止まる。 例えば「砂糖」が「角砂糖」になる時、「さとう→かくざとう」になる。「話」が「昔話」になる時、「はなし→むかしばなし」になる。「子供」が「双子」は「こども→ふたご」、「詰める」が「缶詰」は「つめる→かんづめ」になる。
稀勢の里がついに第72代横綱になった。 これまで、優勝かと期待をされては終盤に崩れることが続き、はらはらしながら取組を見たものだが、ついに先場所、賜杯を初めて手にした。そして新横綱の誕生だ。 熱烈な相撲ファンではなかった私だが7年ほど前、東京での会合で、当時部屋を継いだばかりの玉ノ井親方(元大関の栃東)と同席する機会があった。
一人の女性が投稿したブログが、国政をも動かそうとしている。 「保育園落ちた日本死ね!」 過激な発言に最初は、ギョッとした。怒りのブログは続く。 「何なんだよ日本。1億総活躍社会じゃねーのかよ。
ロンドンで法廷弁護士として働く学生時代のイギリス人ルームメイトから、久しぶりにメールが届いた。「来年ロサンゼルスで開かれるコンファレンスに出席したいんだけど、良子の家に泊まらせてもらえるかしら」。彼女と会えるのは、2年前に私がイギリス、フランス、オランダを旅行した際、14年ぶりに再会し、地元を案内してくれて以来となる。
現在、カリフォルニアでは長年の雨不足で節水を義務付けられている。その義務の徹底化のために大金をつぎ込んでいるようだが、その費用の一部で「水工場」の建設はできないものだろうか。 もう何十年も前にすでに子供用の科学雑誌で、アフリカの「砂漠緑化」のために水プラントを建設し海水から真水を作り出す、いわば「水工場」を建造するという特集があった。
9日付の英語紙面に、「12歳の日系少年が自殺―男性チアリーダーであることでいじめを受ける」との記事が掲載された。12歳とは思えないほどの初々しい彼の笑顔を見て、「たった12年間しか人生を送っていないのに、これから多くの経験ができたのに…」と