Browsing: 国本輝堂

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 ロサンゼルスの日本語放送史を語る上において欠かすことのできない人物がいる。それは1929年から約9年間アメリカに滞在し、いろいろな番組でアナウンサーを務めた河辺照男である。しかし、当時を知る人でも河辺照男と言われてもピンとくる人はほとんどいないと思われる。というのも公の場では本名の河辺ではなく、前田照男、前田輝男、あるいは国本輝堂の名前を使っていたためである。

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 1930年に入り待望のロサンゼルス初の定期的な日本語放送が開始された。ユタ州生まれの河内一正が主宰する「日本人放送局(あるいは日本語放送局)」である。開始は30年4月28日。月〜土曜日の正午から30分、KGFJで放送を行った。アナウンスは南カリフォルニア大学大学院で政治学を学ぶ神田効一が担当した。「熱弁家で情熱家で世話好き」(日米32年8月22日)と評される神田は、その能弁と学業を生かして戦後愛知県議会議員や県議会議長を務めた。