東京から
母国に帰国し数十年振りで東京の生活が始まった。住むとなると半分浦島太郎だから故国の風物が新鮮に映る。さらに日本人が日本で生きるのは実に自然で楽だ、そして楽しく面白おかしい。 長い在米中に日本には親に顔を見せに70回以上里帰り旅行した。里帰りの度に折角の日本、各地を旅行して回ったから日本のことはよく分かっているつもりだったが、旅行と住むのでは見方の幅と深さが違うと分かってきた。
母国に帰国し数十年振りで東京の生活が始まった。住むとなると半分浦島太郎だから故国の風物が新鮮に映る。さらに日本人が日本で生きるのは実に自然で楽だ、そして楽しく面白おかしい。 長い在米中に日本には親に顔を見せに70回以上里帰り旅行した。里帰りの度に折角の日本、各地を旅行して回ったから日本のことはよく分かっているつもりだったが、旅行と住むのでは見方の幅と深さが違うと分かってきた。
ごあいさつ。今月後半に母国日本に帰国します。住まいは東京です。約40数年の米国生活は挑戦とドラマと楽しさに満ちたものでした。幸運に恵まれていたと感謝あるのみです。米国では夫婦でやりたい事やるべき事を全部やった思いで、やり残し無し、悔い無しです。子育て、子の孫育ての手伝い。
仕事関連の顧客だった常に明るいTさんが、いったん日本へ引き上げるということで、ロサンゼルス国際空港(LAX)まで送迎した。数日後、確認の連絡をすると、返事の内容にがくぜんとした。 無事帰国できたものの、離陸前LAXで盗難被害に遭ったというのだ。パスポート以外の携帯、財布、クレジットカード、子供からもらった大切な栞(しおり)など全てを紛失。
3年前、がんの手術を受けることになった87歳の母を見舞いに一時帰国した。 骨粗しょう症と心臓弁膜症で入院したのがさらにその4年前、もとの生活に戻りつつあった矢先だった。 着いた翌日、元カノから高校時代の同期の一人が膵臓がんで他界したことを知らされた。
高野山に行ったことをこの欄で書いたら、何人もの人から行ったことがあると声を掛けられた。行った場所を共通の話題にできるのは楽しい。 「日本はどうでしたか?」と聞かれるのが、正直いって苦手だ。「よかった」では、納得しないと思うからだ。相手が何を望んで聞いて、どんな
今年の元日、つまづいて転んだ。その所為かどうか、当たり年だった。 何もない年などないが、今年は特に枚挙にいとまがない。東日本大震災発生後は募金活動に立ったが、そのことから派生したことも多々。その最中に、伯父の不幸もあった。一つの出来事が後からの出来事に繋がって、新たな出会いや人とのつながりがあった。
日系諸団体の100周年、50周年記念イベントが続いている。日系移民によって開かれた歴史、日米の懸け橋にもなった活動の一つ一つ、幾多の困難を経て現在に至る。今、われわれが安易に渡米できる基盤を作った歴史がそこにある。 100年もの歴史を刻みながら、国際化はどうか?
ようやく休みが取れたので4年ぶりに日本へ一時帰国した。 噂に聞いていた羽田空港発着の日系航空会社を利用してみたところ、大変便利。まずロサンゼルス空港を午前1時に出発するので、出発当日が丸々使え、羽田空港には翌日の午前6時前に到着。少々眠気はあるものの、時差ぼけも軽くて体への負担が少ない。