Browsing: 朝倉巨瑞

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 父や兄の野球好きの影響か、小学生の頃から野球を始めました。ツギだらけの体操着で白球を追いました。中学になり、すこしだけ本格的になり、野球部の厳しい練習を経験しました。  当時の練習は真夏で数時間も炎天下でボールを追っていても、水はほとんど飲ませてもらうことができず、口の中はいつも乾ききっていました。

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 台北駅から、それほど遠くない位置に中正紀念堂がありました。広い庭には鯉が泳ぐ池があり、リスが散歩するゆったりとした空間でした。この紀念堂は、台湾の初代総統である蒋介石氏を祀る施設で、巨大な蒋介石氏の像が帰ることのできなかった中国の方向を向いて座っていました。

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 先月、栗城史多さんの訃報がひっそりと報道されました。彼のことは、以前このコラムでも書きましたが、世界七大陸の最高峰を単独無酸素で挑戦した方です。最後に挑戦したエベレストから生きて帰ることができませんでした。それでもこれだけの事を成し遂げたのですから、登山家として尊敬の念をもったものであるべきだと思っていたのですが、登山の専門家からは、無謀な登山をし続ける素人として非難を受け、関心を持たれてきませんでした。

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 端午の節句が近付く頃、突然母から電話がありました。父はデイケア施設に通っており、母がその送り迎えをしていますが、その日、帰る時間になっても父が見つかりませんでした。施設の人に聞いたら、母が迎えに来る前に一人で施設を出たという。では一人でバスで家に戻ったのかと思い、家まで帰ったが見つからない。

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 「あらゆるものは、時間が姿を変えたものである」ミャンマーで2000人以上の子供たちを無償で救う医療活動を続けている吉岡秀人医師は、このような時間の概念を伝えています。例えば労働とは、自分の時間を会社の利益と交換する作業です。目の前にある新聞や本は自身の時間を使った記者が自らの体験を伝えているものであって、その時間を購入することで実際の時間より短時間で自分の中で学習できるのです。

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 前日からの雨が上がり、道路の所々に水溜まりの残る石畳の道が続く舗道を抜け、典型的なヨーロッパのイメージのどんよりと曇る空の下、テムズ川沿いを散策してみました。ロンドン橋から遠くない場所に掛けられた重厚感あるタワーブリッジを望む公園には、巨大な白いカーネーションで作られたオブジェが飾られており、花を求める多くの女性たちで賑わっていました。

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 2月は私と父の誕生月です。89歳を迎え、少しずつ体力と記憶を失いつつある父の顔を見るために故郷に向かいました。母が車で迎えに来る度に、助手席には父が黙って乗っています。運転を仕事としていた父をどのように説得したのかはわかりませんが、方角も注意力も失うことが多くなったため、母は父が運転をすることをやめさせました。

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 良いことは案外忘れてしまって、悪い事だけを思い出して、自分の人生は…と嘆くことがあります。「人生、山あり谷あり」などと言いますが、自分の人生を、登ったり下ったりして歩いているように考えるのは良い事ではないそうです。人生を行くあてのない道のように考えてしまうと、人生の苦労を連想してしまうからです。

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 両親を連れて、能登にある演劇堂での仲代達矢さんと無名塾による「肝っ玉おっ母と子供たち」という演劇を鑑賞しました。この物語はドイツの劇作家ブレヒトによって第二次世界大戦中に書かれた戯曲で、17世紀のヨーロッパの宗教戦争(30年戦争)で、戦火を幌馬車で渡り歩く『肝っ玉』と呼ばれたアンナ・フィアリングが主人公です。

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 LAでの八代亜紀さんのコンサートが行われたときに、あるモンゴルの国民的な愛唱曲が歌われました。『JAMMAS真実はふたつ』というタイトルのこの歌には、一人の女性が生まれて死んでいくという生涯が綴られていました。「私が生まれた日 父さんもそして誰も みんな笑って喜んだ 泣いたのは私だけ 」という歌詞がありました。

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 日本の9月は、敬老の日を含む連休が、春のゴールデンウィークに対して秋のシルバーウィークという名称で呼ばれるようになりましたが、シニアを敬うための休日というより、シニアからいかに多くの散財をさせようとの意図が悲しいほどの時期でもあります。

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 映画監督の大林宣彦監督は1年程前、新作映画撮影の前日に肺がんの第4ステージ、余命3カ月の宣告を受けていました。宣告を半年以上超えて東京の映画祭の授賞式で語ったのは、自分自身のことではなく、世界から戦争が無くなる日を願うメッセージでした。故・黒澤明監督が若き日の大林監督に語った言葉があったそうです。

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