イノチノキセキ
自分の命を意識するのはどんな時でしょうか。 病気になった時でしょうか。他人の命の儚(はかな)さに触れた時でしょうか。幸せをかみしめている時でしょうか。絶望に打ちひしがれている時でしょうか。 私たちは数分息をすることを止めるだけで、その命が絶えることを知識では知っているのに、命の奇跡を実感することはあまりありません。
自分の命を意識するのはどんな時でしょうか。 病気になった時でしょうか。他人の命の儚(はかな)さに触れた時でしょうか。幸せをかみしめている時でしょうか。絶望に打ちひしがれている時でしょうか。 私たちは数分息をすることを止めるだけで、その命が絶えることを知識では知っているのに、命の奇跡を実感することはあまりありません。
新しい年を迎えるにあたり、謹んで新春のごあいさつを申し上げます。 楽しいこと、悲しいこと、人それぞれにさまざまな体験をしてきた過ぎこし1年。年が改まったからといって、すべてが朝霞のごとく消えるはずもありませんが、この一年を回顧しようとすれば、どうしてもあの3月11日を忘れることはできません。
お盆休み明けの日本と、二世週祭明けのロサンゼルス。お祭り気分の余韻を残しながら迎えた週明け。職場に向かう足取りはいずこもやや重い感じ、かな。それでも、地震、津波、原発事故の大惨事に見舞われた人々の生活を考えれば、生ぬるいことは言っていられない。 東日本大震災から半年近く。
東日本大震災から3カ月が経過した今、米メディアから被災地の様子が報じられることは、ほとんどなくなったように思える。 一方、ロサンゼルスの日系コミュニティーでは、今も連日のように復興支援のイベントが行なわれている。
原発事故を受け、東電幹部や政府は、地震と津波の規模を「想定外」の一言で片づけ、危機管理能力の欠如が問われている。その対応から、事故は起こるべくして起きたという印象をぬぐいきれない。 一方、年間約2500万人の来園者を誇る東京ディズニーリゾート(TDR)にとって、今回の地震は「想定内」だった。
思いがけず急に近くの大学病院へ入院することになった。病室は8人の大部屋。患者の症状はそれぞれ違い、あいさつはしても共通の話題はなく会話は続かない。周りが早めに電気を消せば消灯前でも悪いかな、と読書を切り上げる。痰がのどにからむ音、遠慮のないオナラ、夜中にトイレに起きる音。
3月11日に東北を襲った大震災…再び、こう書き出さねばならない。 近年のハイテクノロジーにより、ニュースは驚くべき速さで世界を巡り、日本を襲った地震や津波の被災者に対して並々ならぬ同情が寄せられ、世界各地で「日本を助けよう」と募金活動が始まった。 問題はその義援金がどのような経路でどの程度被災者に届けられるか、である。
3月11日に発生した、未曾有の大震災。地震から発生した津波は多くのものを飲み込んでしまった。 放送される映像は、あまりに想像を超えていて映画の場面に見えた。現実だと思わされたのは、実際日本の実家と全く連絡が取れないことだった。Eメールを送っても何の返事もない数日がなんと長かったことか。
忌まわしい、悪夢のような地震と津波が東北を襲って、すでに二十日になろうとしている。あの朝は刻々伝えられるニュースの悲惨な画面に縛られて出勤のぎりぎりまでTVの前を離れられずにいた。
グラリと来たのは昼食後、東京・銀座三越の9階で親戚の者と話をしているときだった。屋内の照明器具も外のクレーンも、いつまでもいつまでも大きく揺れた。 揺れがおさまり1階に移ってしばらくすると、館内アナウンスが、鉄道はJRをはじめ全線運行停止中であることを報じた。