80歳のジョン・レノン
生きていれば80歳、12月8日はジョン・レノンの命日。1940年に生まれ40歳で他界したのが1980年と覚えやすい。それでいろいろな記事が雑誌やウェブサイトをにぎわせ、催事も開かれている。 一昨年ジョン・レノンの故郷リバプールで開催された展示会「ダブル・ファンタジー」が来年1月まで東京で開かれている。
生きていれば80歳、12月8日はジョン・レノンの命日。1940年に生まれ40歳で他界したのが1980年と覚えやすい。それでいろいろな記事が雑誌やウェブサイトをにぎわせ、催事も開かれている。 一昨年ジョン・レノンの故郷リバプールで開催された展示会「ダブル・ファンタジー」が来年1月まで東京で開かれている。
コロナウイルスの地球規模のまん延で人々の足がくぎ付けになって久しい。アメリカ国外への旅行がすべてキャンセルになってしまい、だからというわけでもないが結婚39周年を祝ってアメリカ国内旅行に出掛けた。 ロックダウンが起きた当初、街並みからは人の姿が消え、フリーウエイもガラガラだった。
毎年七夕が来るとLAに移り住んできた日のことを思い出す。 40年ほど前、大学卒業後3年間働いた日本を後にスーツ姿でLAXに到着。今考えればなんでスーツなど着てきたのかと思うが、こちらで仕事を始めるということも考慮、持って行くより着ていったほうが楽だと考えた次第だ。
年々集団殺傷事件が増えているように感じる。アメリカの大学や高校などで多発し、精神障害のある人が関わっているケースが多い。日本では通常銃が入手できないことでその数が少ないが、京アニ事件ではガソリンが使われ、相模原の障害者殺害にはナイフが使用された。また集団ではなく両親の虐待などによる殺傷も年々増加している。
2年近く前に糖尿と診断され、それまでにも増して食べるものに制限を加えてきた。以前から肉類を控え野菜と穀物、魚中心にしていたが穀物の量を極端に減らした。それまでまったく気に掛けていなかったが、炭水化物の摂取量がかなり多く、それが糖尿につながる。米や小麦粉などのすべてが悪いわけではないが、精製されたものは避けるべきで、危ない薬だけでなく『白い粉』の脅威は日常生活の中に浸透しきっている。
自然界には希少価値が高く同時に美しさも兼ね備えたものが幾つかある。誰もがうなずくものでは金、プラチナ、ダイヤモンドといった貴金属や宝石類だ。この希少価値と美しさのふたつの特性はその純度に関しても同様だ。24カラットの金は18カラットの金より色の美しさで多くの人を魅了するだろうし、希少価値も高く通常高額だ。
一年前モンパルナス墓地にあるセルジュ・ゲンズブールの墓を秋の優しい日差しの中で参拝した。入り口から少し歩いたところの少し大きめの墓には花束やカード、メトロの切符などが無造作に置かれていた。 マルチタレントとして60年代中判から70年代にかけ音楽を中心にヨーロッパで大活躍を遂げる。
先日ピッツバーグにあるアンディー・ウォーホル美術館と彼の墓を訪れ長年の夢を叶えた。ニューヨークで活躍したアンディーだが、両親はスロバキアからの移民でピッツバーグに居を構えアンディーもそこで生まれる。 アンディー・ウォーホルとの出会いは70年代初頭、高校の選択科目『現代芸術の思想と表現』というクラスだったと記憶する。
朝食は一切れのトーストにチーズと野菜の添え物を長年食べていたが、断念することに…。一昨年複数の人から定期検診を薦められ、4年ぶりに色々と検査をした。ほとんどの検査が終わり、これといって大きな変化はなかったみたいだとホッとしていたら「糖尿です!」との宣告。
古賀野々香さんが昨年半ばから1年間ワシントン州リッチランドのハイスクールに留学した際、その学校のロゴに原爆のキノコ雲が使われているのを目の当たりにしショックを受けた。長崎の原爆に使われたプラトニウムを製造した街リッチランド。終戦を早め多くの米兵の命を救った原爆が製造されたことを誇りとするリッチランドのハイスクールの学生達に、古賀さんの視点からのビデオを作制し公開した。