日本語、大切に
50冊もの英語、日本語取り混ぜた「放出図書」の中に目を引くものがあった。日本語の誤用、乱用を指摘したものをはじめ「日本語云々」の類のものが数册。 私の年代は日本語は正しい教育を受け、ネットに惑わされる世代でもないので、目次をぱらぱらっと見ても、「そうそう」と同調するものが多い中、それでも長年の疑問がいくつも解決したのは、面白かった。
50冊もの英語、日本語取り混ぜた「放出図書」の中に目を引くものがあった。日本語の誤用、乱用を指摘したものをはじめ「日本語云々」の類のものが数册。 私の年代は日本語は正しい教育を受け、ネットに惑わされる世代でもないので、目次をぱらぱらっと見ても、「そうそう」と同調するものが多い中、それでも長年の疑問がいくつも解決したのは、面白かった。
1890(明治23)年、通信記者として日本にやってきた英国人ジャーナリストで作家のパトリック・ラフカディオ・ハーンは日本について綴った著書「日本の面影」の中でこんな言葉を残している。「彼ら(日本人)の素朴な礼儀正しさは、けっしてわざとらしいものではない。彼らの善意は、まったく意識したものではない。
今年のノーベル医学・生理学の受賞者にがんに対し免疫が働くようにする新たな治療薬の開発に貢献した本庶佑・京都大学特別教授(76)が選ばれた。 本庶教授は、研究者を目指す子供たちにこう述べている。 「何か知りたいと思うこと、不思議だなと思う心を大切にすること。教科書に書いてあることを信じないことだ」
車を運転しない私の移動手段は、普段は時間と事情がゆるせば、もっぱらシニア・ディスカウントで一回1ドル15セントの市営バスや電車を利用するが、急ぐ場合や天候によってはウーバーのお世話になる。 タクシーでもウーバーでも、どんな運転手に当るかで、目的地までの15分か20分の間に、ちょっとした会話から、私の知らない世界が開けることもあり、A点からB点へのただの移動に終わることもある。
「腰痛が痛い」。ふと(時折冗談で)口に出る。強調する狙いだが、同じ意味を繰り返すので、なるべくなら無駄を省いて避けるべき表現らしい。無意識のうちに使っている重複表現がたくさんありそうだ。中にはギリギリセーフな例も…。 「未だ未解決」 「一緒に協力」
前回に続き今回も勘違いしてたこと、最近知ったことなどがまだまだあるので、多少懐かしい思い出余話も取り混ぜてシェアしたい。 「LATINX(ラティネックスと発音)」 最近メディアで見かけるようになったが、2004年頃にGoogleでその言葉が検索されたという。
先ほどから、何度も電話のメッセージを聴き直している。 「折り返し電話をください」というのだが、メッセージに残された電話番号の最後の二桁の番号が聞き取れない。それらしい番号で何度かかけてみたがいずれも間違い電話。 知っている人ならリストから調べてかけることも出来るが、未知の人ではそれもできない。
「生まれた時から肌の色や出自や宗教を理由に他人を憎む人などいない―」。バージニア州シャーロッツビルで昨年8月に発生した白人至上主義グループと反対派との衝突事件。前述の言葉は、1人が死亡し多数の負傷者が出る事態に発展したこの事件を受け、オバマ前大統領がツイッターに投稿したメッセージだ。
年を取るに連れて、黒い髪に白髪がちらほら見えてくる。「白髪」の英語を「ホワイトヘア」と訳す人もいるが、おそらくこの場合は「gray(grey)hair」の表現の方が適している。日本語で灰色の髪、灰髪とはあまり言わない。いわゆる銀髪をさすこともある。英語と日本語では、色のニュアンスや感覚に微妙な違いがあるのだ。
『国語』という名称を自国の教科の名称として使っている国は、日本以外では非常に少ないと以前聞いた覚えがある。日本で義務教育を受けた人なら、違和感なく日本語を学ぶ教科だと知っている。この教科で使う辞典も国語辞典で『日本語辞典』という名称のついたものは非常に少ない。
この頃少しばかりいじれるようになったスマートフォンでフェイス・ブックに登録して、友人や親戚の近況を手軽に知ることができるようになった。フェイス・ブックの友達といっても、その友達のまた友達の知り合いで、見も知らぬ人のコメントを読むこともしばしばある。
明けましておめでとうございます! 英語ではお馴染みの(ジョークで「幸せな新しい耳」とも訳せるが…)ハッピーニューイヤー。「明けましておめでとうございます」が日本語訳の表現に相当すると以前習った。 ところがアメリカに来た当初、12月の年末に「ハッピーニューイヤー」と言われて「あれ、まだ年が明けていないのに?」と怪訝(けげん)に思った時があった。